中国政府への6つの提案 中国が理解されるために
- 2008/04/20(日) 23:52:17

筆者のジェームス・ミルワードは、米ジョージタウン大学の歴史学教授。中国、内陸アジア、清朝、新疆、モンゴル、チベットが専門分野。
悲喜劇的なオリンピック聖火リレーは、世界に重大な問題を示した。混乱しまた、面白くもさえある側面に西側に焦点を当てている(ローラーブレードに乗ったフランスの警察や曇った日に黒いサングラスをした中国人の聖火防衛隊)一方で、中国ではヒロインは、パラリンピックのフェンシング選手で若い女性の金晶である。車いすに乗った彼女は、自由チベットを叫ぶ険しい顔をした抗議者が聖火を奪おうとするのを必死に守った。チベットの抗議とほぼ同じように、中華人民共和国の人々と世界一般の人々は、聖火リレーの出来事を大きく違って見ている。
似たような食い違いが、中国新疆地区のトルコ系イスラム教徒のウイグル人によるテロ未遂事件についての最近の中国の発表にある。2008年1月、ウルムチでテロリストの細胞とされる場所へ踏み込んだこと、3月の航空機を墜落させようとした若いウイグル人男女の計画、4月の観光ホテルを襲撃し、外国人ジャーナリストを誘拐するウイグル人の計画などいくつかの公式報道はみな、外国メディアとアナリストには懐疑的に受け止められ、中国当局を激怒させた。
情報が前例のないほどに交換されるようになったのにもかかわらず、中国が世界に開かれ、経済的統合が深まって20年以上たつのにもかかわらず、五輪の時期の約束にもかかわらず、世界の世論と中国の世論は正反対になっている状況がある。少し単純化しすぎると、世界の人々は中国人をチベット人、ウイグル人、ダルフールの人々、キリスト教徒などを押しつぶそうとしている人食い鬼と見なしている。中国人たちは、世界は中国人をやっつけようと躍起となっており、西側は中国を抑え込もうとしていると考えている。
中国の検閲と宣伝は、中国の子供たちが学校で習う歴史と公民で始まり、中国の大衆の態度と大きな関係がある。もし中国に情報が自由に入り込むようになったら、ほぼ間違いなく意見の違いは縮まるであろう。だが、中国の外にいる人々も一般的に中国の問題について、あまり教育を受けていない。違った理由ではあるが、チベットのデモなどの出来事に対する反応も、間違った情報や情緒によって形づけられている。
もし中国と世界が相互誤解というこの亀裂によって分裂してしまったたら、誰のためにもならない。その影響は五輪が終わった後も、いつまでも残りかねない。中国政府に情報の防火壁を壊すように要求したり、中国の子供たちに中国の歴史をもっと十分に教えるように要求することはほとんど効果がない。この時点でのほとんどの批判のように、これは反中国攻撃を重ねるように見えるだけであろう。
けれども、不思議なことには、中国が中国について外国人にもっとうまく説明することができるようになりさえすれば、得るものは多い。中国はその行動に対して説得力のある理由づけを持っており、いじめる側のように見られたり、追い詰められていると感じる必要はない。だが、広報のことになると、中国当局は彼ら自身の最悪の敵である。
どのようにしたら中国が国際的に自分自身をよりよく見せられるか、ここに6つの提案がある。それを採用する利点は(北京政府が雇うかもしれない新しい広報顧問からのアドバイスは別にして、どれより先に)、あらゆる点での誤解と緊張を減少させることであろう。
「中国の聞き手に言っていることは、世界の人々に聞かれているということを忘れるな」
最近まで、中国当局は中国の地方新聞さえ、外国人には読むことが許されず、10億人の中国人が読むことを許された「内部流通」メディアと見なしていた。そうした時代は終わった。放送、新聞、あらゆるものが現在はオンラインになっており、多くの外国人が中国語を理解するので、中国の国内ニュースは外に出ていく。中国で抑え込まれたニュースでさえ、外に出ていく。われわれはひとつのメディア世界に住んでいるというのは、月並みの考えであるが、真実である。
「声明が英語ではどのように思われるか考慮せよ」
強硬派指導者による痛烈な非難は、国内の中国人を満足させるためのものかもしれないが、そうした言辞は英語に訳されて放送されると、暴力的で、ヒステリックでさせある。チベットの張慶黎党書記は、ダライ・ラマを破廉恥にも「テロリスト」と呼んだ。新疆の王楽泉党書記は2008年3月9日の記者会見で、「こうしたテロリスト、妨害工作者、分裂主義者は、誰であろうと断固として打ちのめされるであろう」と叫んだ。もし彼が単に「阻止される」とか「逮捕される」と言ったら、もっと有効であったであろう。「打ちのめされる」とか「粉砕される」などといった言葉は、中国政府は本質的に暴力的であるという印象を与えるだけである。(確かに、ブッシュ大統領もカーボーイの威張った態度で同じようなことを言うことが多い。だが、ここでわたしの意見を終える。彼の世界像は見習うものがない)
同様に、中国の多くのスローガンは奇妙に聞こえ、英語ではさらに悪く聞こえることに注意すべきである。"The Three Evil Forces"(3つの邪悪な勢力)はそのひとつである。"the Dalai Lama Clique"(ダライ・ラマ集団)もそうである。それを"splittism"(分裂主義)と呼ぶべきではない!その言葉は恐らく、下手な翻訳からきているのであろうが、主に中国政府の英語メディアで中国の事情だけで使われる。"Separatism"は同じ意味であるが、同じような状況が他国で起きている時に使われる言葉である。
「領土問題について古い、無理な歴史的議論を用いるな」
現在、中国の国際的PRで困難な事態を起こしているチベット、新疆、台湾の問題は、終局的に主権の問題に行き着く。しかしながら、今日の世界で、チベット、新疆での中華人民共和国の主権に異議を申し立てている政府や結論はない。亡命チベット人、ウイグル人グループでさえ、独立国の要求はやめて、「自治権」と文化の保全に焦点を当てている。台湾に関しては、世界は辛抱強く「ひとつの中国」の線に従い、海峡両岸の人々による問題の解決を待っている。
中世のチベット王が中国の王女と結婚したという情報で、チベットにおける政策を正当化する必要はない。米国の人々は間違いなく、そのような昔に起きたことについて関心を持っていない。中国の外のほとんどの人々は王女の議論を、正直に言って、ばかばかしいと見なしている。英国の王族は、先祖はドイツである。しかしそれは、ロンドンがベルリンのものであることを意味するであろうか。また、7世紀に中国の王女を迎えた後、チベット人は8世紀に中国の首都を破壊したということを指摘する歴史家もいるであろう。このように、王室の結婚はチベットの中国への服従を証明することにはほとんどならない。
同じように、中国とチベットを征服したモンゴル人が実際には中国人であり、13世紀のモンゴルのチベット支配は実際には中国の支配であったと主張することは、屈曲した、簡単に反論される議論である。同じことが、新疆は古代から中国の一部であるとする主張にも言える。それは、その地域に中国の存在がなかった千年間(8世紀から18世紀まで)の途切れを無視している。(Eurasian Crossroads: A History of Xinjiang C Hurst, 2007参照).
「もっと最近のより現実的な歴史的先例を考慮せよ」
他方、清王朝は、特に18世紀には、PRと分離主義の問題の実際的な解決に役立つかもしれない先例とモデルを提供している。清は、北京が中国の中心的省だけでなく、チベット、新疆、モンゴルそれに台湾の統治ないし、一種の安全保障の管理をした時代であった。けれども、非常に違った行政システムが違った場所に適用された。帝国は、言語的、文化的、宗教的多様性に対して、非常に寛容であったという特徴があった。
1950年代にも、中華人民共和国は実際にはともかく、原則として、非漢民族の少数民族に自治権と文化の保全を与えた制度を始めた。今日、トランスナショナリズムについて多く語られ、国民国家を補完する新しいモデルが探されている中、多民族国家によって突きつけられたイデオロギー的、政治的課題へ、新しいアプローチが地球規模で必要とされている。中国は、「未来を振り返る」ことができ、歴史的正直さと本当の国家的誇りでもって、チベット、新疆、香港、台湾などでの自治権と文化の保全の問題に対して創造的な解決策を作り出すために、清王朝と初期の中華人民共和国の先例を参考にできる。西洋の考えで出てきた国民国家の問題を、中国の発想した概念で解決したらどうだろうか。実行可能な中国モデルは他の国でも採用されるかもしれない。
「中国が問題を抱えていることを否定しないこと。そうではなく、それらはいかに他の国の問題と似ているかを見よ」
中国は規模において類がないが、環境汚染、汚職、社会の最も貧しい成員のために経済成長と福祉のバランスを保つという問題を抱えていない国があるであろうか。チベット人やウイグル人との紛争でさえ、中国の歴史的事情から生じているものだが、類似のものはどこにでもある。 民族・宗教の多様性は欧州、米国、オーストラリア、その他の西側民主主義国で難題を突き付けている。インドも帝国の遺産からくる分離主義の重大な問題を抱えている。しかし、強引なやり方にもかかわらず、アッサムやカシミールへの対応をめぐって、中国がチベットや新疆をめぐって受けている国際的な非難のような種類のものは受けていない。その違いのひとつの理由は、インドの開放性と活発な報道でそうした問題を幅広く議論しているからである。
2008年3月末、新疆のホータンで数百人のイスラム教徒の女性たちが街頭に繰り出した。官庁でスカーフをかぶることを制限しているためのようだ。中国のメディアはこれを報じていないが、ニュースは外へ流れた。一般の公共の場所で、スカーフをかぶることを制限することは良いことだと考えるのは、ひとつの考えである。トルコとフランスは同様の方針をとっている。なぜそのニュースを隠すのか。多文化的ではあるが公式には世俗的国家における、宗教的象徴の居場所をめぐる世界的な議論になぜ加わらないのか。勝手に世界を敵に回し、中国を他と違うものするのではなく、そうした問題を率直に認め、良識ある配慮をすることによって、他の大きな国と同じ立場に立つことができる。
「記者に報道をさせよ。透明性が信頼性をうむ」
中国内である程度、通達を管理することができるかもしれないが、検閲された宣伝ニュースの結果、国際的には信頼性を欠くことになる。これが、西側メディアがウイグルのテロの脅威の主張やダライ・ラマによって扇動された少数の者を除いて、すべてのチベット人は幸福であるという主張に懐疑的である理由である。SARSの発生を隠したことは、中国の世界的なPRにとって打撃であった。発生それ自体の事実より悪かった。
一方、輸出されたおもちゃ、医薬品やその他の製品の安全についての中国の比較的に開かれた、協力的な対応は、そうした事実が明らかになった以降の中国の「ブランド」への損害を限定するのに役立った。自身の宣伝を信じることは、問題を悪化させるかもしれない。中国の中央当局は、チベット人の不満の奥行と範囲について、先月に爆発するまで分からなかったのかもしれない。宣伝と通達管理はこのように、ある程度の利点を与えることができるが、真実は露見する。真の知識は、真の力となる。国内と外国のジャーナリストや学者を排除し、悪魔扱いするのではなく、耳を傾けるなら、中国はもっと良い状態になり、世界全体からより大きな尊敬を得るであろう。
北京よ、冷静になれ
こうした6つの点はより簡潔に要約できる。
「自信を持ち、正直であれ。防御的、秘密主義的になるな」
明らかなことを徹底的に否定すること、敵意に満ちた言辞、苦しい歴史的主張、外国人が問題を起こしているという被害妄想的主張、そうしたものがすべて中国を悪く見せている。中国が悪く見える必要はない。さらに、世界は中国を悪く見る必要はない。中国は誇りと自信を持つ多くのものを持っている。貧困の減少という前例のない記録、驚異的な経済成長、輝かしい新しい建築、高い水準の教育、宇宙計画、何兆もの外貨準備、浪費的米国人のねたみである貯蓄率、五輪で金メダルをたくさんとるであろうこと。長い歴史と栄光ある文化は言うまでもない。
確かに中国は問題を抱えている。問題を抱えていない国があるであろうか。だが、誰もチベットや新疆を中国から取り上げようとはしていない。こうした地区での騒乱を、自制でもって、また、政治家らしい「怒りではなく悲しみ」という雰囲気で対応し、こうした騒乱の裏に潜んだ経済的、文化的、政治的問題を否定するのではなく、解決しようとする関心を示せば、いじめる側のように見られるのではなく、世界から理解と同情を得られるであろう。
最後に、金晶や他の中国人の聖火のランナーを守ろう。そうでなければ、五輪聖火を守っている「人民武装警察」隊は呼び戻すべきである。(Rowan Callick, "Torch guardians from Tibet crackdown unit ", The Australian, 16 April 2008参照) 国際五輪委員会にその聖火の安全について心配させよう。外国人警官に外国人の聖火ランナーを襲う外国人抗議者と格闘させよう。でなければ、中国人がデモ隊を殴る写真がさらに世界中のメディアにあふれることになる。せめて、警備隊からチンピラのようサングラスを外させよう!
本稿は独立オンライン雑誌www.opendemocracy.netにクリエイティブ・コモンのライセンスのもとで発表された。
原文
(翻訳 鳥居英晴)
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