中国とチベット 真実の道
- 2008/04/18(金) 15:35:49

筆者の王力雄は北京在住の作家。3月22日に29人の中国の知識人がチベット問題に関して12項目の声明を発表するのを組織した。著作に「黄禍」「天葬」。夫人はチベット人作家のツェリンウォセWoeser。原文はウォールストリート・ジャーナル(3月28日)に掲載。プリンストン大学のPerry Linkが翻訳。
チベットで最近起きた騒動は20年前に起きたことの再演である。1987年10月10日、ラサにある中央の寺院の周囲のある有名な市場、バルコルを僧侶が平和的にデモをしていた時に、警察が彼らを殴り、逮捕し始めた。僧侶を「宝物」と見なす普通のチベット人にとって、その光景は、我慢がならないものであった。それ自体がそうであるばかりでなく、チベット仏教徒が長年にわたり抱いていた不快な記憶を刺激したからであった。(Tubten Khétsun, Memories of Life in Lhasa Under Chinese Rule Columbia University Press, 2008参照)
怒った数人の若い男たちがバルコル警察に石を投げ始めた。群衆がそれに加わり、火をつけ、車を倒し、「チベットに独立を!」と叫び始めた。これは3月14日にラサで目撃されたこととほとんど同じである。
こうしたことが繰り返されることの基本的な原因は、チベットの僧侶の心の内にある苦しい葛藤である。中国政府が彼らの精神的指導者、ダライ・ラマを非難するように要求すると、僧侶はそれに従う(それは深い精神的信念を犯す)か、抵抗する(それは、政府登録を失い、僧院から追放されることになりかねない)かの選択を迫られる。
時々、僧侶は彼らの苦悩を表現するために平和的なデモをした。彼らがそれをやると、不安な中国政府は、「緊急の局面」での「不安定な要素をなくそう」として、暴力的な抑圧で対応した。これがチベット人からの暴力を引き起こす。(Robert Barnett & Shirin Akiner,
数十年にわたり、チベットをなだめる中国政府の政策は、経済発展の魅力と武力で脅すことを組み合わせることであった。いままでの経験は、こうしたやり方はうまくいっていないことを示している。("Skewed gains", Economist, 10 April 2008参照)
チベットに平和をもたらす最も効果的な道は、ダライ・ラマを通じたやり方である。ダライ・ラマのチベットへの帰国は多くの問題を直ちに軽減するであろう。現在の敵意の多くは、中国政府のダライ・ラマに対する雑言の直接の結果である。チベットの僧侶にとってダライ・ラマは比べることができない高尚な地位にある。僧侶にダライ・ラマを非難するよう要求することは、両親を非難するよう要求するのと等しい。
僧侶を殴り、僧院を閉鎖することが、当然、市民の暴動を引き起こし、市民の暴動がこのように生じ、暴力的になることは、驚きではない。
こうした単純な真実がどうして、明らかでないのか。北京で引退しているチベット人のプンツォク・ワンギェルは長年にわたり、チベットでの有力な共産主義者であった。彼によると、「反分裂主義」の教義が北京の中央とチベットで宗教と少数民族を扱う中国当局者の間で根付いているという。こうした人々は、反分裂主義にキャリアを積んできたので、面子を失うことなく、その考えが間違っていると認めることができない。また、彼らは権力と地位を失うことを恐れている。(Isabel Hilton, "Ditch the tatty flag of nationalism", Guardian, 12 April 2008参照).
何でもうまくいかないことに対する決まり文句は、「敵対的な外国勢力」である。それは、どのような厳しく、理不尽な抑圧を正当化する敵である。「反分裂主義」という、もともと空虚な言葉は際限なく繰り返されると、一種、確固としたものになる。キャリアはその中でつくられ、それに挑戦することは不可能になる。
わたしはダライ・ラマの「中道」の支持者である。外交と防衛を除いたすべてでチベットの自治を意味する。 この取り決めは、終局的にはチベット人が自身の指導者を選ぶことを意味しなければならない。これは現在のあり方からは、大きな変化である。チベットは「自治区」と呼ばれるが、実際にはその役人は北京で任命され、彼らの個人的な利益と共産党の利益に関心を集中させている。チベット人は、こうした政府と自治の間の違いをはっきり見ることができるし、偽の自治を支持する訳がない。
これが無理難題であるとしても、チベット問題の最終的解決は、中国の政治制度そのものの民主化でなければならない。真の自治は他にありようがない。
中国政府は、チベットにおける長期的な戦略がなぜうまくいかなかったのか調べ、何かをすべき時である。もし賢明なやり方がなされないと、古い問題が残り、「新彊ウィグル自治区」のようなところで続くことは間違いない。
本稿は独立オンライン雑誌www.opendemocracy.netにクリエイティブ・コモンのライセンスのもとで発表された。 .
原文
(翻訳 鳥居英晴)
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