すべてを変えた1週間 新自由主義経済学者の3つの妄想 アン・ペティフォー
- 2008/09/28(日) 15:44:18

この1週間ですべてのものが変わった。米国での一連の異様な出来事―レーマン・ブラザーズの破たんからメリル・リンチの売却まで、巨大保険会社AIGの国による買収から連邦準備制度理事会の緊急救済案までーは金融市場における危機を、世界を規定する経済統治のモデルの基盤そのものに関する議論に変えてしまった。
30年間にわたって、世界的な金融という船はグローバリゼーションの経済学―シカゴ学派の欠陥のある新自由主義経済学―によって舵を取られてきた。規制緩和と自由化を求めた彼らの航海図によって、世界経済は前例のない大きさの金融ハリケーンに遭ってしまった。この危機は、不動産の価値、雇用、年金と投資それに大小の会社がやっと手に入れた業績をとてつもなく破壊するものであることが判明するであろう。とりわけ、この危機は数百万の罪のない市民、そのほとんどは貧しい人々であるが、の生活と未来を損なうであろう。
伝統的エコノミストは、わたしが"debtonation day"と呼ぶ2007年8月9日に金融ハリケーンが上陸した時でさえ、危機が来ているとは見なさなかった。彼らはまだそれを理解していない。彼らは、金融部門の船の主計官つまり船長、乗組員、乗客に警告をしそこなった。いまでも、彼らの知的・政策地図は、これから先の道を示していない。
これは、伝統的な新自由主義経済理論が経済における金融の役割を軽視するからである。システム的破たんは、伝統的経済学の想定された世界では許されていない。シカゴ学派のほとんどは、アービン・フィッシャーのBooms and Depressions (1932年)を読んだことがない。ジョン・メイナード・ケインズの貨幣と利子についての本を読んだことがあったとしても、金融の規制についての彼の論理的根拠を中傷するか過小評価するためであった。代わりに彼らは、「大きな政府」の強力な敵である、自由市場主義者のミルトン・フリードマンをもてはやした。
しかし、2008年9月14-20日の1週間に、一般市民とメディアの多くでさえも、金融部門と政府の知的・政策の破たんの大きさを記録し始めた。誰ももうだまされないように見える。自由市場主義者はいまや、社会主義者が当惑するような熱心さで大きな政府を奉じている。既成メディアでのより保守的な意見でさえも、彼らが長年支持してきた欠陥のある経済学に異議を申し立て始めた。
世界は回転しているのかもしれない。だが、変化はまだ十分ではない。新自由主義エコノミストは世界経済の実権を握ったままであり、何が起きているのかについて、影響力のある誤診を広め続けている。こうしたエコノミストには、世界の主要中央銀行総裁、財務相が含まれる。世界経済が、このすべてを飲み込むような嵐から安全に脱け出すためには、彼らの経済学と3つの主な妄想に異議を申し立てることが重要である。
3つの妄想
最初で最も重要な妄想は、銀行や金融機関が実際には破産している(insolvent.)のに、非流動的である(illiquid 資産が現金化しにくいこと)と信じていることである。システム的破産は、またも、伝統的経済学の世界からは断固として排除されている。危機を長引かせ、深めた2007年夏と秋の破産を認めることは アリスター・ダーリングやハンク・ポールソンのような中央銀行総裁や財務相の破たん(failure)であった。いま破産を認めることは破たんである。納税者による流動性資金が中央銀行から際限なく、非効率に流れている背後にあるのは、この破産である。
第2に、伝統的経済理論を尊敬しているため、中央銀行総裁は幻想のインフレ圧力を許し、高い金利を維持し、金融緩和を拒否することを正当化している。石油と食料価格の上昇にもかかわらず、インフレは、いまは低下している。資産価格(不動産価格の下落を考えよ)のレバレッジ解消は、あらゆる種類の価格を低下させるであろう。また歯止めをかけないと、デフレを引き起こすであろう。デフレは緩やかなインフレより、国民全体にとって、ずっと破壊的であろう。1930年代と1990年代の日本は、厳しい前例である。中央銀行総裁は伝統的経済理論の行き詰まりから脱出し、下向きで、債務リバレッジ解消のデフレスパイラルを阻止するために行動しなくてはならない。
第3で最も緊急なものは、中央銀行総裁と財務相は、伝統性の制約を脱しなければならないし、手っ取り早い解決策ではなく、システム全体の解決策を考えなくてはならない。数人の空売り投機家を禁止することは、総合的な見直しが必要なシステムをいじくり回しているに過ぎない。
4つの解決策
では何をしなければならないか?4つの対策がある。
第1に手始めにすることは、1933年にフランクリン・ルーズベルトが1週間の銀行休業日を宣言したことであろう。それから、連邦準備制度理事会、金融サービス機構、イングランド銀行は時間をかけ、うまく隠された「有害廃棄物」―60億ドル以上のいわゆる「クレジット・デフォールト・スワップ」(CDS)を含む、膨大な申告していない負債―をチェックするために、銀行の帳簿を調べることができる。監督機関が問題の大きさを適切に判断して初めて、確固とした、適切な行動を取ることができる。現在は、彼らは銀行が隠した金融の「大量破壊兵器」がどこにあるのか不確かで、われわれの大量の金をダブダブにしている。
第2に、金利を高めに保つための隠れ蓑でしかない「インフレ目標政策」には終止符を打たなければならない。高金利は貸し手や債権者には結構だが、債務者にとってはとてもつらいものである。貯蓄家より債務者のほうがずっと数が多い。この金融危機、また地球規模の気候変動の脅威が立ち向かわなくてならないものなら、エネルギー安全保障への投資に金を出すのを助けるために低利の融資金(あぶく銭ではない)が必要になる(このテーマについては、わたしが共著したA Green New Dealを参照のこと)。
第3に、イングランド銀行と連邦準備制度理事会は、すべての金利について支配権を取り戻すべきである。銀行間貸出金利(いわゆるLiborレート )(訳注)はもはや、英国銀行協会で毎日行われる銀行役員の私的な秘密の会議で決められるべきではない。金利は社会に説明する義務を負う委員会によって決められるべきである。金利を設定する時には、金融だけでなく、労働、産業という経済を動かす、すべての人々の利益を考えるべきである、
第4に、すべての金利について支配力を再び行使するために、イングランド銀行は資本規制を再導入しなければならないであろう。それには、1947年のブレトン・ウッズで合意されたように、新たな国際的な合意が必要かもしれない。
これらはすべて必要であり、可能でもある。これらは、システム的な脅威に対処するために必要な初期的なシステム的措置である。市民は、国の金融の番人がそれらを迅速に実行することを期待する権利を持っている。
もし彼らがそうするなら、これらの番人は新しい倫理的指針を必要とするであろう。新しい航海士であり、新しい舵取りである。しかし、必要のないもの一つは、新しい航海図である。それはジョン・マイナード・ケインズが『雇用・利子および貨幣の一般理論』で提供している。その考えは、1930年代の大恐慌の後に世界に安定の時期を取り戻したように、現在でもうまくいくであろう。これは、バリー・アイケングリーンとピーター・H・リンダートが(The International Debt Crisis in Historical Perspective, MIT Press, 1991で)「国際資本市場での黄金の安定時代」と説明した時期であった。
そのような黄金の時代に戻るためには、すべてを変えたこの1週間によって露呈された、ひどい破たんに責任がある貸金業者、投機家、伝統的エコノミストは身を引かなくてはならない。すべてのものが、より良きものに変わるために。
*アン・ペティフォー Advocacy International代表。1990年代に、最貧国の債務を2000年を区切りに帳消しを求める運動、ジュービリー2000に関わった。
Advocacy International
訳注 ユーロ市場の中核をなすロンドンの銀行間資金取引のうち、出し手金利。
本稿は独立オンライン雑誌www.opendemocracy.netにクリエイティブ・コモンのライセンスのもとで発表された。 .
原文
(翻訳 鳥居英晴)
利害の相違より共通の脅威が重要 ロシア・グルジア戦争後の世界 レイン・ミュラーソン
- 2008/09/16(火) 13:26:06

「それは、悪に対する善の戦いではない。それは、力の均衡のために戦っている勢力同士の戦争である。この種の戦いが始まると、それは、他の戦いより長く続く。なぜなら、神はどちらの側にもいるからだ」−パウロ・コエーリョ 『アルケミスト』(訳注1)
2008年8月8日は北京五輪の開幕日としてよりも、ソ連の崩壊やベルリンの壁の崩壊と同じくらい重要で、9・11をも影を薄くさせるくらいの国際社会の発展でのより重要な節目を表すものになるであろう。姿を表しつつあるものは新しい冷戦ではないかもしれないが、新しい分断の線が最も重要な安全保障の問題上に出現しつつあり、その結果、さまざまな国際機関の役割が変わらざるをえないというのは確かなようだ。「龍」はまだ静かに、かつ賢明に力をつけつつあり、2008年8月8日の勝利を楽しんでいるが、その歯と爪をみせたのは、猟師と猟犬に囲まれた「熊」であった。
2008年8月8-12日のグルジアとロシアの間の戦争と、それが議論になり、いまだ暴力的な余波があるという状況を踏まえて、コーカサスの出来事を理解するためには、その地域の歴史を掘り下げてみるばかりではなく(それが助けになることはあるが)、より広い背景で歴史と進行中の紛争を見ることが必要である。つまり、エネルギー資源へのアクセスなど世界秩序の将来をめぐる新しい地政学的争いという背景である。
そうしたアプローチにより、コーカサスでの紛争に、多少は恒久的で、満足のいく解決策があるのかどうかが明らかになるかもしれない。確かなことは、手っ取り早い解決策はないということである。また、すべての外部のパワー(ワシントン、ブリュッセル、モスクワを含む)が一つの方向に進むことに真摯に同意するというシナリオはありそうもないが、仮にそうなっても、密接に、個人的に、感情的に関与した人たちの怒りや認識、誤解があるため、予見できる将来において、すべてに等しく受け入れられるような成果は生まれないであろう。
グルジア・ロシア紛争の主因は、ノール・アチャーソン、ジョージ・ヒューイット、ドナルド・レイフィールドらのopenDemocracyの筆者たちが探ったように、同地域の近代史にある。それには、ヨシフ・スターリン(南オセチアとアブハジアが「問題」となる政治的状況を作り出した)とズビアド・ガムサフルディア(ソ連後の初代大統領で、彼の民族主義的な政策は、それらの地域をグルジアの支配から離れさせることになった)などの指導者の政策が含まれる。
しかし、今日の状況で最も重要な要素は、外部の国が(主に米国とロシアが)対立した世界的、地域的利害を有しー法律用語を使うとー依頼人として行動しているということである。一方、グルジア、アブハジア、オセチアの指導者たちは、自分たち自身の課題を抱え、依頼人たちを操ろうとさえしているのに、依頼人の代理人として見なされざるを得ないということである。openDemocracyでのフレッド・ハリディの議論に関して言えば、時には実際、しっぽが犬を振るかもしれない。もっともそれは、二次的な事柄に関してだけであって、通常、犬自身が振られていることを大して気にしない時だけである。
グルジアのミハイル・サーカシビル大統領は、テレビ番組で恐らくうっかりと、問題なのはグルジアでもその領土保全でもないと言った。ロシアはグルジアとではなく、西側と戦争状態にあると彼は言った。ある意味では、そうである。けれども、これは、コーカサスでロシアに対して戦争をしているのは西側であることも意味する。
変化する世界秩序
9・11以後、多くの米国とその他の西側の指導者たちは、西側とその他に対する最も重大な安全保障上の挑戦は、イスラム過激主義とテロリズムであると真剣に信じた。今日、そのような認識は、かなり過去に属するものである。
1998年に出された影響力のある報告書は、「グレート・ゲーム」、「文明の衝突」、「来るべき無政府状態」、「歴史の終わり」(訳注2)の4つのシナリオを示している。(Zalmay Khalilzad & Ian Lesser, Sources of Conflict in the 21st Century: Regional Futures and U.S. Strategy , RAND Corporation) 著者らは最後の2つのシナリオは、前の2つのシナリオよりありそうもないと考えた。彼らはグレート・ゲーム説を支持しているように見えた。新しいグレートパワー・ゲームでは、西側(まず第一にワシントン)対中国とロシアという構図である。イスラムの脅威は、米国に対する最も重大な挑戦とは見なされていなかった。9・11はそうした優先度を変えたかもしれないが、一時的なものであったのかもしれない。
この点に関して、ロバート・ケーガン(訳注3)が2007年9月にした議論は示唆的である。「近代化、資本主義、グローバリゼーションという強力で、時に非人間的な力に対するイスラム主義者の戦いは、現代世界における紛れもない重大な事実である。だが、奇妙なことに、近代化と伝統主義の間のこの戦いは、主に国際舞台における前座の出し物である。将来は、過激イスラム主義者の想像上の敬けんな過去を回復するための活動ではなく、グレートパワーの間のイデオロギー的戦いで支配されそうだ」("The world divides....and democracy is at bay", Times, 2 September 2007)。
このシナリオでは、異なった社会・政治体制、文化を持った国々が、共通の脅威に―地球温暖化、エネルギー資源の不足、大量破壊兵器の拡散、テロにー緊密に協力できるのか、相互関係より国内制度における相違のほうを優越させるのかどうか重大なジレンマになっている。
ケーガンは次のように書いている。「将来は、過激なイスラム主義者の想像上の敬けんな過去を回復するための活動ではなく、グレートパワーの間のイデオロギー的戦いで支配されそうだ」。彼は米国に対し、次のように助言している。「他の民主主義国とともに、共有する原則と目標を反映し、強化するための新しい国際的な機関を作るべきである。恐らく、民主主義国家の新しい連盟は、今日の問題につい定期的な会議と協議をする」。そのような世界政治の形態の兆しが見え始めているという点で、ケーガンは正しいのかもしれない。実際、もしこれが現在起きつつあるものならば、ケーガンの処方箋に従っている人々の政策の結果、世界の新たな敵対的陣営への分裂はかなり実現しつつある。
Laurence Jarvikは、主に中央アジアでの西側NGOの役割についての鋭い記事の中で、ザルメイ・ハリルザド(訳注4)とイアン・レッサー(訳注5)が描いた2つの最もありそうなシナリオについて述べている。彼は次のように考える。もし米国が、国内制度が自由民主主義の基準と合致しない国々の安定を損なう勢力(一部のNGOを含む)を鼓舞するのではなく、そうした国々の能力向上を助けるならば、米国と国際社会全体はより利益を受ける。(Laurence Jarvik,"NGOs: A ‘New Class' in International Relations", Orbis, 51/2, Spring 2007)。
中国やロシアのような国に対する新しいグレートパワー・ゲ-ムの中で、同盟国にしようと、その国の安定を損なうことは、不安定とテロの新しい紛争地域を作ることになるであろう。マイケル・ショワー(訳注6)は「国民国家と戦い、打ち負かすことを好んだブッシュ政権の冷戦的特性は、スンニ派イスラム主義者による一層危険な国境を越えた脅威を計り知れないほど強めた」と言う。(Marching Toward Hell: America and Islam after Iraq, Free Press, 2008)。
問題なのは、中国とロシアが専制的であり、従って西側民主主義国のように行動しないということではない。アウグスト・ピノチェトのチリは、ワシントンの助言にまったくしっかりと従った。問題は、中国とロシア、台頭しつつあるインドやブラジル、その他の新興国が発言権を持っていないか、ほとんど持たない既存の国際権力構造に同化されることを拒否していることである。それらの国は、彼らの思うままにではないにしろ(それは無理な話である)、少なくとも、ほぼ対等なパートナーの間で交渉するという条件であれば、ロバート・ゼーリック前国務副長官の言葉を借りると、国際社会で「責任ある利害共有者」になるかもしれない。
リチャード・サクワ(訳注7)は「(ロシアの)国際体制への制約された形の適応は、戦略的方向がはっきりしていたところで現れた。つまり、(長期的には加盟は排除されていないものの)加盟(accession)なき統合(integration)である。だが、統合のペースと形式はロシアの裁量のままに残されている」と書いている。わたしは「加盟」という言葉ではなく、「同化」(assimilation)という言葉を使う。西側の自由民主主義国のようになろうとしている小さな東中欧諸国とは対照的に、中国と同様ロシアは、既存の体制に同化されることを拒否している。
ボリス・エリツィンのロシアは、西側の助言者に促されて、そのような同化政策をとろうとしたが、国民にとっては悲惨な結果をもたらした。問題は例えば、東中欧の小さな諸国の場合うまくいくことが、より大きな問題を持った大きな国には、まったく性質が異なるかもしれないということである。
さらに、サクワは「今日の国際体制は、台頭しつつあるグレートパワーの統合のためのメカニズムを持っていない」と言う。その統合の条件は、ワシントンやブリュッセルから指図されるのではなく、協議されるべきである。新しい台頭しつつある現実の中で、ロシアは重要な問題も、それほど重要でない問題でも、不平を言い過ぎてきた。一方、中国は同化の試みに静かに抵抗するという、より賢明でより効果的な戦略を用いてきた(それがチベット、ダルフール、人民元の為替レート、表現の自由をめぐってあれ)。ポール・ロジャーズが示しているように、これは中国が世界に、代償を払うことなしに、商業的影響力、恐らく将来には、政治的影響力を及ぼすことを可能にしている。
外の世界に対する、このような異なった対応は、さまざまな国民政治の性格によるものかもしれない。しかし、それはロシアと西側の利害が、中国と西側の利害よりも厳しく衝突したという事実を反映しているのかもしれない。もっとも、主要な競争相手が誰になるのか(あるいはすでに誰なのか)は疑いないが。ジェフ・ ダイヤーが指摘するように、サワクの言う「台頭しつつあるグレートパワー」の一つの行動が、世界制度全体に影響力を及ぼすような形で、お互いに影響を及ぼす余地もある(Geoff Dyer, "Russia could push China closer to the west", Financial Times, 27 August 2008)。
ワシントンとその同盟国は、ロシアを同化させる、言い換えれば、ワシントン・コンセンサスに従い、米国が主導する自由世界の秩序に加わる自由民主主義市場国家に変換させることに失敗した。今や、NATOをグルジアとウクライナに拡大し、ロシア国境近くに弾道ミサイル防衛を建設し、エネルギー・パイプラインのルートをめぐってロシアと対抗することによって、ロシアを封じ込めようとしている。
そうしたグレート(むしろささいな)ゲームでは、アブハズ人、グルジア人、オセチア人や一部の小さな国は(より多数のウクライナ人もまた)、主として歩兵である。彼らの生活と幸せが、将来の政治的世界秩序のために犠牲にされることはあり得る。こうしたゲームは、米国の指導者が主張するような、コーカサスでの民主主義についてでも、グルジアの主権と領土保全についてでもない。また、ロシアが主張するような、南オセチア人を「保護する責任」についてでもない。もっとも、欺まんと自己欺まんの間の線はしばしば非常に細く、そうした主張をする人々の多くは本当に誠実であるかもしれない。こうした見方は、1920年代にそうであったのと同じように真実であり、コーカサスの紛争に関与している主要な国に示されなければならない。
今世紀の最も素晴らしい音楽家の一人、ワレリー・ゲルギエフがグルジアによって破壊されたツヒンバリの廃墟の中でコンサートを開いた理由をわたしは理解する。それは彼がウラジーミル・プーチンの友人であるからではなく、彼がオセチア人であるからである。(ロシアとグルジアで)人気のある俳優・歌手のヴァフタング・キカビーゼがロシアの政策だけに過ちを見る理由をわたしは理解する。それは、彼がグルジア人であるからである。
アーネスト・ゲルナー(訳注8)は次のように書いている。「民族主義者が自分たちの国に対する不正へ持つ感受性と同じように素晴らしい感受性を、自分たちの国が行う不正へ持つなら、国民感情の政治的な効果は大いに損なわれるであろう」(『民族とナショナリズム』)。そうした自分のグループしか考えられない考え方(tribal mentality)から自由になれる人々が多くないことは残念なことである。物事を別の面を見るには、しばしば多くの知的努力、勇気と感情面の成熟が必要である。しかしながら、個人的にも感情的にも関与していない人々は、ゲルギエフやシェワルナゼなどの人々を含め双方から、彼らが話し、売り込もうとしていることを額面で受け取ることなく、聞くことが必要である。
強い非対称
民主主義と人権、さらに主権と領土保全の原則は重要である。だが、それらの価値を侵害しているとして反対者や敵対者を非難する時には、スローガンとしてそれらを繰り返さないことで、それらは促進され保護される。今日の世界では、より静かで安定していた時代以上に、こうした価値は、政治主体の矛盾した言葉や行動を暴露することによって守ることができる。
コソボ・アルバニア人がセルビア人に迫害されている時に、クレムリンは彼らを保護するために駆けつけることはなかった。ホワイトハウスは、セルビアの領土保全を気に掛けることはなかった。反対に、ワシントンは事実上の独立につながったコソボ州の政権を支持した。モスクワは、トビリシが友人であり、NATO加盟を望んでいなければ、アブハズ人や南オセチア人の独立の願望に対して、そのような理解を持つことはなかったであろう。ワシントンは、グルジアが再興したロシアと戦略的にそのように近くなければ、パプアニューギニアではなくグルジアにおける民主主義の方を気遣うことはなかったであろう。さらに、バクー・トビリシ・ジェイハン(BTC)パイプラインは、ロシアを迂回して、グルジア領土を曲がりくねって通っている。
オセチア人とアブハズ人に対するクレムリンの関心は、主に道具としてである。それは、「グルジア人のためのグルジア」というスローガンを使った、ソ連後の初代大統領、ズビアド・ガムサフルディアの近視眼的で性急な政策であった。それは、3代目の大統領、ミハイル・サーカシビルであり、彼の領土に対する強硬策は、地政学的ゲームの本気なプレーヤーなら滅多に見逃すことがない機会をロシアに与えた。小さな国は、世界的なパワーゲームで利用されるというのは事実である。
力の議論
ロシアやNATOの指導者も、そうした分析を受け入れないことは明白である。前者は、彼らの動機が不誠実なアングロサクソンの動機とほんの僅かでも似ていると考えられることに対し、聖なる怒りでいっぱいである。一方、後者はヨシフ・スターリン(グルジアでもロシアでも、その独裁者を崇拝する人たちは実際、たくさんいる)の信用できない後継者と比べられることに怒っている。
しかしながら、そうしたマキャベリ的なアプローチへの代替案は、往々にしてホッブスの世界で行動しなければならないことになる。だが、それはまるでロックの世界にいるかのようである。(ハンス・モーゲンソーによって十分分析されたように)ケーガンは、世界の人々は「国々が変わらずパワーによって定義された利益を追求している」世界に住んでおり、住み続けるであろうということを認めている。もっとも、ケーガンは(モーゲンソーとは対照的に)、西側民主主義国、特に米国は国際政治に道徳を持ち込み、イデオロギーと政権の型が重要である主張して、見事な知的な180度の転換をしているのだが。(Robert Kagan, "Power Play", Wall Street Journal, 30 August)。
確かに、それらは重要である。特に、西欧のいわゆる「ポストモダン」、ウェストファリア後の国際関係との関連では。クリストファー マイヤー(訳注9)は、現実主義者の伝統により正直に従っている。彼はこう書いている、「仮にロシアが、われわれが世界で広まってほしいと思っている種類の完全に機能した民主主義だとするなら、その外交政策は少しも異なるものではないであろう。それにルーブルの大金を賭ける」。(Christopher Meyer, "A return to 1815 is the way forward for Europe", Times, 2 September 2008)。
成熟した自由民主主義国は、これまでのところ、互いに戦ったことはない。だが、それらは(特にワシントンンは)他のどの国よりも他に対して武力を行使してきた。(Stephen Kinzer, Overthrow: America's Century of Regime Change from Hawaii to Iraq, Times Books, 2007)。そのような武力の行使は、常に国際法や道徳と合致していた訳ではない。1920年代末にカール・シュミットは、「ある国が人道の名目でその政治的敵と戦う場合、それは人道のための戦争ではない。特定の国が軍事的敵に対して、普遍的な概念を侵害しようとするための戦争である。・・・人道という概念は、帝国主義的拡張の特別に便利なイデオロギー的道具である。倫理的人道的な形では、それは経済的帝国主義の特別の道具である。ここで、プルードンのやや変形した表現を思い起こすかもしれない。人道を呼び覚ませるものは誰でも、だましたいのである」。(Carl Schmitt, The Concept of the Political, University of Chicago Press, 2007)。
現実的反転
コーカサスにおいてどのような種類の措置が取られるのかは、大国、特にワシントンがどのような世界を望むのか次第である。もし米国が、ロシアは西側にとって信頼できるパートナーではなく、従って封じ込める必要があると思うなら、グルジアもウクライナも現実的な限り早くNATOに加盟させるべきである。ロシアをG8から追放し、世界貿易機関への加盟の見通しを閉じること(その他の措置)は有効であろう。欧州は、意味ある経済的制裁が現実的になるには、ロシアの石油とガスに依存し過ぎている。
そのような場合、ロシアは恐らく正当に、グルジアの離脱した領土をロシアに組み入れ、ウクライナの親ロシア地区で騒乱を起こそうとするである。クリミア半島の将来は重大な紛争の場になるであろう。2017年に20年の貸与期間が切れる時、ロシアがその艦隊をセバストポリから退去させるか疑問である。ウクライナがNATOに加盟すれば、必ずクリミア半島、特にセバストポリをめぐって危機を引き起こすであろう。
ロシアはワシントン・コンセンサスに従おうとしないし、その経済的・安全保障の利益を守ろうと積極的に主張する。 ( Rein Müllerson, "The New Cold War: How the Kremlin Menaces both Russia and the West", Chinese Journal of International Law, 7/2 [May 2008]) しかし、それにもかかわらず、もし西側(米国を含む)が、宗教が動機のテロや大量破壊兵器の拡散、地球温暖化、エネルギーと食糧の不足などの地球規模の懸念を解決するうえで、ロシアが有益な(時には不可欠な)パートナーであると信じるなら、違ったアプローチを追求する必要がある。確かに、政治家は窮地から後戻りしている時でも、Uターンしているとは決して認めない。しかしながら、それがコーカサス紛争や世界全体での緊張が、予測不能なまでに拡大するのを防ぐために必要なことである。
忍耐の時
アブハジアと南オセチアの独立を正式に承認することで、ロシアはコソボを承認した西側諸国と同じように軽率に行動した。両者はこうして領土紛争というパンドラの箱をさらに開けてしまった。クレムリンの決定には、2つの大きな間違いがある。第1にモスクワは、そうでなければロシアのNATOに対するスタンドプレーを理解するか、歓迎さえもしたかもしれない国々の多くからの支持を今や期待できないでいる。中国やインド、多くの国々は、「自国自身」の少数民族が持つかもしれない独立要求への励みになることに極めて神経質になっている。
この点では、一部の政治家が新しい国家、例えば、コソボ、アブハジア、南オセチアの承認はそれぞれのケースでまったく異なり、前例とならないと空疎な主張をしているのは、コーカサスもバルカンでも同様に間違いである。このことについての相違や類似点は、見る人によって違ってくる。もし証明が必要なら、ビシュケク(ドゥシャンベが正しいー訳者)での上海協力機構の首脳会議でロシアに与えられた熱意に欠けた支持がそれを証明している。
第2に、それらを承認して、クレムリンは奥の手を使ってしまった。手の内を見せずに、それを使うと脅し、実際にはテーブルの上に投げないことの方が、クレムリンの利益であったであろう。これはマキャベリ的に聞こえるかもしれないが、オセチア人やアブハズ人の苦境にクレムリンが流している嘘泣きの涙や、グルジア人やウクライナ人の運命にワシントンが流している嘘泣きの涙を信じるよりは、より良く、より正直な事態の評価である。
今必要なことは、両者とも修辞を抑えることである。その後で、小さな実際的な措置が有益であるかもしれない。ロシアの行動には、西側は行動でお返しをしなくてはならない。NATOは、グルジアとウクライナへ拡張するという方針を直ちには取り消すことはできない。しかしながら、このプロセスを促進するのではなく、ブレーキを掛けることは賢明であろう。ロシアは、これらの離脱共和国を必要としていないことを理解している。必要なのは、友好的なグルジアである。しかしながら、そうしたグルジアになるためには、米国はロシアの囲い込みと封じ込めの目的で同国を使うことをやめなければならない。
ロシアは。時に不可避的に西側の選ぶものとは異なる自己の利益を追求するが、世界的規模の難題に直面した中で、西側にとってグルジアよりも重要なパートナーである。もし、世界的な「テロとの戦い」が実際に最も重要な問題の一つであるなら、これはとりわけ、本当のことである。ついでに言えば、もし、ロシアが敵(あるいは少なくとも、潜在的な敵として)として、あるいは、パートナー(少なくとも潜在的なものとして)見られない場合にのみ、グルジアやウクライナは、ロシアよりもっと重要なパートナーとなる。
これは、西側はロシアとの協調関係のために、こうした小さな国を犠牲にするべきであると言っている訳ではない。これらの国は、ロシアと西側民主主義国の間の協力関係からも、彼ら自身のロシアと西側との協力からも利益を得るであろう。ロシアの周辺にある小さな国に対して、どちらか一方を支持するように強制したり、後押しすることーわれわれの側につくのか敵なのかーということはそのような国にとって、極めて不利益である。さらに問題の原因が、ロシア(いわゆる親ロシアの政治家を積極的に支持している)なのか、西側(親西側指導者を支援している)なのかは問題ではない。どちらの場合も、指導者が栄えても、国民は苦しむ。
当面の措置の一つとして、グルジアは離脱した地域と「武力不行使」の協定を結ぶように説得されるべきである。その後に、他の協力的措置が可能になるかもしれない。仮にグルジアがそれらの領土を奪還できたとしても、ロシアとの永続的友好関係が樹立されてのみ可能である。とちらも、すぐにはそうならないであろう。従って、忍耐が必要である。ここでもう一度、グルジアやロシア、米国よりも中国から学ぶことの方が多いようだ。
欺まんのベール
わたしは国際法の教授として、国際法の観点から状況を評価することが期待されるかもしれない。わたしはそれができるが、わたしと読者の貴重な時間を浪費することになる。なぜか?コーカサス紛争に直接関与している人々、どちらかの側に強く共感している人たちが、国際法の専門用語を使っている状況のためである。(侵略、占領、ジェノサイド、人種差別、領土保全、平和執行、人道的任務、条約の神聖)という言葉が、何の制約もなく、嬉々として、独善的な怒りで、ジャーナリストばかりでなく詩人もうらやむ自信でもって使われている。
このような状態で、地味な専門家の私見としては、国際法の学者の一つの任務は、法律の専門用語が隠そうとしている利害を垣間見るために、その悪用されたベールをはぐことである。超大国が新しい対立に向かっているという危険な動向を逆転させることが可能なのは、欺まんと自己欺まんを暴露することによってだけである。その対立は、以前のものとは対照的に、イデオロギー的原因がなく、実利的な利害の相違よりも、共通の脅威と挑戦の方がより重要となっているようだ。
*レイン・ミュラーソン(Rein Müllerson) キングズ・カレッジ・ロンドンの国際法教授。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス客員教授、国連人権委員会委員。エストニア第一副外相(1991−92年)。
訳注1 ブラジルの作詞家、小説家。
訳注2 「グレート・ゲーム」は、「中央アジアの覇権を巡る大英帝国とロシア帝国の敵対関係と戦略的抗争を指す。アーサー・コノリーが命名した言葉といわれる」(ウィキペディア)
「文明の衝突」は米国の政治学者サミュエル・P・ハンティントンの著書の題名。冷戦が終わった現代世界においては、文明と文明との衝突が対立の主要な軸であると主張する。
「来るべき無政府状態」はジャーナリストのロバート・カプランの著書の題名。冷戦後の世界は、民族紛争が頻発する世界となると主張。
「歴史の終わり」は米国の政治経済学者フランシス・フクヤマ著書の題名。「『歴史の終わり』とは、国際社会においてリベラルな民主主義と資本主義が最終的な勝利をおさめ、それ以上の社会制度の発展が終わり、社会の平和と自由と安定を無期限に維持するという、将来における仮説である」(ウィキペディア)。
訳注3 米国政治評論家、ネオコンの代表的論者。
訳注4 米国連大使。アフガニスタン駐在大使、イラク駐在大使を務めた。
訳注5 ワシントンのシンクタンク、米国ドイツ・マーシャル基金の上級研究員。
訳注6 前CIA職員、ビンラディン班長。
訳注7 ケント大学ロシア欧州政治学教授
訳注8 歴史学者、哲学者、社会人類学者。『民族とナショナリズム』岩波書店刊
訳注9 英国の前駐米大使
本稿は独立オンライン雑誌www.opendemocracy.netにクリエイティブ・コモンのライセンスのもとで発表された。 .
原文
(翻訳 鳥居英晴)
グルジアに対する西側の幻想 紛争地域についての理解が不可欠 ドナルド・レイフィールド
- 2008/09/03(水) 00:30:46

2008年8月8-12日のグルジアとロシアの5日間の戦争の残り火は完全には消えていないが、フランスのニコラス・サルコジ大統領が交渉し、ロシアのドミトリー・メドベージェフ大統領とグルジアのミハイル・サーカシビリ大統領が合意した停戦協定で、この激しく、破壊的で悲劇的な戦争を終わらせる希望が出ている。
さらに広い視点から言えば、戦争によって住む家を失い、傷ついた市民が、破壊された生活を再建するうえで、ささやかな安全と人道支援を受けることができるようになった時には、その背景、原因、教訓を完全に調査する場所が作られるべきである。この大きなプロジェクトに、いくつかの初歩的な解説を提供することは、この初期の段階で適切かもしれない。
この「短く、汚らわしい戦争」についてのメディアの報道の多くは、精力的で、詳細であった。ロシアとグルジアの広報官によって伝えられる偏向した(多くの場合、まったくの虚偽であった)事態の説明に疑問を呈し、多くの疑念を示した。これとは対照的に、評論家たちは、紛争の原因を探るという基本的な仕事への関心を失っている。実際、多くのおびただしい言論は、現地と地域の要素を完全に無視し、手軽な地政学を援用している。それはまるで、今回起きたことの中心にある南オセチアとアブハジアが存在しないかのようである。
南オセチア 今回の火事
南オセチアは、法的にはグルジアの中にある小さな領土で、今回より長く、同じように汚らわしかった1991−92年の戦争以来、グルジアの支配外にあり、5日間の戦争の直接の引き金であった。この地域の背景をより深く見れば、これは起きるべきではなかった紛争であったことを示している。中央コーカサスの南山麓に住む約4万人のオセチア人は、北側の山麓(ロシア領)に住むオセチア人の主体とはほとんど別に発展し、異なる方言を話すまでに至った。700年間にわたり、彼らはグルジア人の村と混在した村に住んできた。平和に混じり合い、宗教は同じで、グルジアの王族と知識人と結婚してきた。
重大な衝突は、ソ連後の初代大統領で半分気が狂ったスビアド・ガムサフルディアが、(1992年の短い支配期間とそれ以前に)、極めて排外主義的な民族主義を信奉してから始まった。グルジア人以外の市民は同国での「お客」であると宣言した。ガムサフルディアは、自治を廃止し、南オセチアという名前も廃止した。また大臣の一人、Vazha Adamiaをツヒンバリへのデモの先頭に立たせた。
数百人が殺されると、グルジアのオセチア人は、唯一の選択肢に見えたものを選択した。分離することである。彼らはすぐに「平和維持部隊」の名目でいるロシアによる保護を見出し、新しい制約された状況の中、やせた土地とコーカサスを越てくる物資の密輸で生活をやりくりした。1990年代終わり、(ガムサフルディアが死んだ後に政権を握った)エドアルド・シェワルナゼのグルジア政府は、この取引を大目にみていた。それは、グルジア・南オセチア境界で行われた車のトランクを使った市場での、闇商人とも平和的に共存し、活発に行われた。
2003−04年の「バラ革命」でシェワルナゼに代わって後を継いだサーカシビリは、ほとんどすべてのグルジア人政治家と同じように、ソ連後の混乱と暴力の時代に失われた、すべての領土を(必要なら武力を使ってでも)回復すると公約した。この約束とその約束(例えば、その展望は常に非常に近い将来である)に伴う修辞は、その約束をした者を抜き差しならない状態に追い込む。南オセチアに関する約束を果たそうとして、サーカシビリ政府は、一連の策略をした。エドアルド・ココイトイに率いられたロシアが支援する南オセチア政府に対抗するため、親グルジアの傀儡政府の樹立、水道と電気の供給の操作、交易所の閉鎖、さらに、それらの措置を拡大し(南オセチアの統治者は対抗し、それをしのぐことさえした)、誘拐、地雷の敷設、ときには銃撃戦にまで至った。
そうした「挑発」(両者によって手当たり次第に投げつけられた言葉を使うと)に直面して、ロシアの平和維持部隊によって武装され、訓練を受けた南オセチア人は、さらなる支援を受けた。そのため、反グルジア活動の犯人が誰であるかーロシア軍なのか地元オセチアの若者なのかー判別するのが困難になるまでになった。オセチアの軍事請負人はとにかく、ルーティンに励んだ。上空を飛行し(ときにはミサイルを「落とし」)、平和維持のために非常に厳しく訓練された部隊で強化した。
さらに、政治的なレベルでは、ロシアの小刻み(サラミ) 戦術は(南オセチア人にロシアのパスポートを発行し、次にロシアの年金、保健、教育制度に統合していく)、最初は住民を同化させる秘密のプロセスで、次に同国をロシア連邦に統合することになったことは疑いない。
それ自体では、オセチアはロシアにとって取得する魅力はほとんどない。そこに別荘を建てる人はいない。(アブハジアには観光施設があるが)、そこには観光リゾートもなく、観光客のために施設を建てる見通しもない。全体で7万人の人口の中で、ロシア市民にはなりたくはないと思っている2万人以上(恐らく最大3万人)のグルジア人が住んでいる。原理的には次のようなことはあり得る。目覚ましい経済成長を見せ、西側世界と統合し始めていたグルジアの隣で、もし南オセチア人が平和にそのまま置かれたら、グルジアと再統合するのではないが、その一部であるかのように住み、またロシアの一部にはならない(ロシアとはとにかく、長く、暗く、危険な1本の道路のトンネルだけでつながっている 訳注1)、ということに最終的に合意に達していたかもしれない。
ロシアの野望とグルジアの政治指導部の性格を考えると、そのようなことは起きなかったし、恐らく起きえなかったであろう。サーカシビリを近くで知るようになった人たちにとって、多くの言語に堪能で、米国で法律の教育を受けた彼は、危険なまでに不安定で、時に冷酷な政治家である。彼の反ロシアの一匹狼としての役割でさえ、実際に見えるものとは違っている。彼が2003−04年のバラ革命の波に乗ることができたことは、ロシアの利益と感情とぶつかり、どちらの側も思い出したくないものであったことを示す多くの証拠がある(それは、両者の間で交わされた人身攻撃の激しさを説明することになるかもしれない)。
もつれた、謎に包まれた話は、次のようなものである。革命の初期段階で、シェワルナゼが不安定な政権にしがみついている時に、サーカシビリは当時のロシア大統領の仲介者の一人、Grigory Luchanskyを介して、ウラジーミル・プーチンと間接的な対話に関与した。野心のあるグルジア人である彼は、グルジアの南西部の州のアジャリア(訳注2)を地盤として支配していた現地の軍閥、アスラン・アバシゼ(訳注3)に対する圧力を掛けることは、彼の年長のライバル(シェワルナゼのことー訳者)に対し優勢になるチャンスだと見なした。
プーチンはアブシゼのロシア治安部隊を撤退させて、願いを入れた(アブシゼが、プーチンのライバルでモスクワ市長のユーリ・ルツコフの同盟者であったことは役立った)。ソ連解体での役割から、シェワルナゼがプーチンのKGBとロシア軍から憎まれていたことも、その動機になった。アブシゼの支配基盤が弱体化され、アジャリアがトビリシの支配に戻った時には、サーカシビリはグルジアの大統領になっていて、国家再統合計画でのこの第一歩を自分の手柄にできた。
事態は転換した。プーチンの(またメドベージェフの)サーカシビリに対する嫌悪は、メドベージェフがotmorozok(「能なし」と「人間のくず」の間の何か)という下品な言葉を使うことで現れている。米国の軍事援助への大きな依存など、ロシアの軌道からできるだけ離れた政治的決定や経済政策を取ることで、グルジア大統領は
ロシア指導者の目の上のたんこぶになった。
サーカシビリはすっかり中傷の修辞をとり戻した。だが、侮辱的言動と民族主義的なわめき声を越えて、なぜ彼が南オセチアで彼の軍隊を使って電撃戦を行い、それをロシアが既成事実として受け入れると考えたのかまだ不明である。この荒っぽい計画について聞いていたはずで、それを防げたはずの米国の軍事顧問はどこにいたのか?サーカシビリをめぐっていくつかの疑問がある。2005年のズラブ・ジワニア首相(訳注4)の原因不明の死と、それに続く異常ないくつかの死における彼の役割についてなどである。
ツヒンバリでの本当の死者数とグルジアの責任の程度は、サーカシビリにさらに影を落としている。広く流布されている1500人という数字以下だったことがわかったとしても、その行動は醜悪で、分離主義者の州の町を取り戻そうとする国軍による(サーカシビリのお好みの言葉で、敵に対してだけ使う言葉を使うと)野蛮な違反である。米国のコンドリ−サ・ライス国務長官がトビリシを訪問する時には、抱擁と握手、それに疑いなく微笑みで歓迎されるであろう。そうだとしても、これが、サーカシビリの西側の同盟国がロシアと同じように、彼に代るもっと分別のある人物を見つけ出そうと躍起になっている、もっともな理由である。
彼の政治的死亡記事が書かれる時には、少なくとも言えることは、南オセチアでの彼の行動は、南オセチアをグルジアに再び統合する見通しは、彼が誤った危険な冒険を始める前より、さらに薄くなっているということである。しばしばあるように、熱狂的なグルジア民族主義の噴出は、それが意図した目的を挫折させている。
アブハジア 波は後退する
グルジアとロシアの間のあからさまな戦争が、南オセチアをめぐって起き、グルジアのもう一つの失われた領土、アブハジアではなかったことは、少なくとも一つの点で驚きであった。 グルジアとアブハジアを分断する問題はより根が深く、重大であるという点においてである(また、グルジア軍が、2006年7月から2008年8月の戦争の中で撤退するまで、アブハジアのコドリ渓谷に駐留していたからである)。
南オセチアがグルジア王国と共和国に何世紀もの間、統合されていたとしても、アブハジについては、確かに統一グルジア国の不可分の部分であったのは、アブハジアの歴史の中のほんの僅かな期間でしかないと言い得る。900年から1225年(グルジア王国の「黄金の時代」)の間と、1936年から1992年(アブハジアの指導者Nestor Lakobaがラベンチー・ベリヤによって殺されて以後、ウラジスラフ・アルジンバの指導の下での分離と戦争まで 訳注5)の間である。
さまざまな時期に、アブハジアはミングレリア(Mingrelia)の支配者によって支配された。それはオスマンの宗主権の下でのことが多かった。1930年代の強制的な人口構成の変化で、アブハジアではグルジア人集団が先住のアブハズ人の数を上回るようになった(アブハズ人の人口は、1864年にロシアがアブハズ人の半分をトルコに追放した時に激減した)。従って、グルジアがアブハジアに対して主権を主張するのは、長い歴史的な関係ではなく、1945年以降の国境の不可侵の原則に基づいている。
より重要なことは、土地が肥沃で昔は魅力的であった海岸と山のリゾート地を持つアブハジアは、その隣国にとって紛れもなく欲しいものなのだ。ロシアの官僚やビジネスマンは、スターリンの古い別荘からユーゴスラビアが建設し、放置されていたホテルにいたるまで、不動産を買い占めている。彼らは、アブハジアの地位が最終的に再検討されたら、彼らの購入は合法的で利益が見込めるという前提でいる。アブハジアはまた、親ロシアのアルメニアと世界と結ぶ主要道路と鉄道が通っている。
1992−93年の分離戦争では支持を隠さなかったロシアの「平和維持部隊」は、以後、駐留することに大きな既得権益を持っている。残忍で破壊的な1992−93年の戦争と1930年代と1970年代でのグルジア人による暴力と嫌がらせを決して許していないアブハズ人は、ロシアの専制支配のほうがずっとましだとしている(ファジリ・イスカンデルの小説『チェゲムのサンドロおじさん』を読んだ人は誰でも、そこに描かれているアブハズ人の帝国支配者に対する態度と、ロシアの支配の下で、好きなように生活していかれるという自信を見出すであろう。訳注6)。独立するかロシア連邦の一部になるかを望むアブハズ人にとって、唯一の脆弱性は南のガリ地域の存在である。そこは、ミングレル人が民族的、言語的に西グルジアのミングレル(サメグレロ)と近く、グルジア人とも近いのである。
ツヒンバリでのグルジアの敗走と、欧米がグルジアへの言葉による支援と経済的支援を軍事行動ないし実効のある政治的制裁で証明することができなかったことで、アブハズ人はグルジアへの再統合を働きかけようとする者はもういないと確信している。ニコラス・サルコジと(フィンランドのアレクサンデル・スタッブ外相の)交渉の結果、欧州連合の平和維持部隊がロシアの平和維持部隊に加えられるかもしれない。だが、彼らは実効あるものにはなりそうもないし、(ロシア軍の行き過ぎた肉体的暴力への傾向を信頼性のしるしとして認め、他のタイプの平和維持部隊の抑制を笑う)コーカサス人に尊敬されそうもない。
遺産
ロシアとの短い戦争で、いまや国土が明らかに小さくなった中でグルジア自身はどうなったのか?恐らく、グルジアの政治家と国民は、より現実的な同盟国が与えている静かで人気のない助言に耳を傾け始めたかもしれないが、これまでのところ、それは無視されている。
第1に、チェコ共和国とハンガリーを見よ。(チェコはスロバキアなしでもうまくやっており、スロバキアもそうである)。ハンガリーは(過激派は別にして、トランスシルバニアを取り戻すという願いあきらめた)。領土が失われることはあり得るのであり、民族的に同質な構成で生きのびられるし、利益を受ける、ということを受け入れよ(これが、エスニック民族主義ではなく、市民が相まって育成される限りにおいて)。
第2に、アブハジアや南オセチアの住民がそこに住みたいと思うような、明白により豊かで、自由で、安全な隣国となるよう、グルジアは、経済的、社会的発展に集中すべきである。
第3に、グルジア人は2つ以上の選択肢があることを認識すべきである。不可能な選択肢は、失われた領土を取り戻すこと、あり得る選択肢はそれをロシアに取られることである。第3の選択肢は、アブハジアと南オセチアの独立を認め、外交関係を与え、国境を開くことである。そうすればこれら2つの地域はロシアだけではなく、トルコ、欧州へと外に向くことができる。
この助言は「西」に対するものでもある。NATOと欧州連合の助言者は、こうした3つの理性的な原則を受け入れられることを条件にして、グルジアにすべての援助をすべきである。また、これ以上の意味のないおしゃべりや公の容認をやめるべきである。
そうした方針に沿って言う勇気のある政治家、そう言っても殺されないと信じる自信を持ったグルジアの政治家を私は知らない。だが、もしそうした政治家が現れないと、2008年8月に起きたことは再び起きるであろう。さらに、次の時はさらにもっと悪い結果となるであろう。なぜなら、ロシアの外交政策はもっぱら、愛されるより、恐れられた方がましであるという原則に基づいているからだ。ロシアのプーチンーメドベージェフーPSB-軍事政権は、少なくとも石油が尽きるまでは、世界の主要脅迫者として強固に構築されているように見える。もしグルジアがさらにやる気を起こさせるものが必要というなら、それは、強硬な立場を続けて、他の少数民族を疎外させることだ。特にトビリシに無視され、(南東グルジアの)ジャバヘチで貧困な生活をしている20万人のアルメニア人は、アルメニアと統合するために戦うことを決めるであろう。
グルジアの歴史は、何世紀にわたる分裂の後に数十年の統一が続くというものである。グルジアの責任ある友人は、どのようにこのプロセスを覆すか、より根本的でより現実的に考え、明確で率直な助言を与えなければならない。一方、グルジアの新しい世代、特に外国に住み、働いたことのある人々は、数ケ月、数年先まで、そのような改革主義、現実主義を共有し、説くことが望まれる。
*ドナルド・レイフィールド(Donald Rayfield) ロンドン大学クイーン・メアリー校の現代言語名誉教授 ロシア語・グルジア語研究者
訳注1 ロキ・トンネル 1985年完成、高度2000メートル、全長3660メートル
訳注2「人口統計上、住民の8割は民族籍をグルジア人とするが、実際にはこの地方のグルジア人の多くがアジャール人と呼ばれるイスラームを信仰するグルジア系のエスニック・グループであるため、グルジア国内で自治共和国を形成している」(ウィキペディア)
訳注3 ソ連解体以前からアジャリアの自治共和国最高会議議長。グルジア独立後、ロシアを後ろ盾とし、シェワルナゼ政権に対して、譲歩を引き出させた。独自の軍事力を持ち、事実上の独立国家となった。国土統一を公約にしたサーカシビリが2004年に大統領に就任すると、中央政府とアジャリアとの関係は一触即発の危機に陥った。サーカシビリ政権はアジャリアに対して武装解除を要求する最後通告を発した。アバシゼはロシアに亡命、アジャリアは中央政府の支配下に入った。
訳注4 20004年1月に首相に就任。2005年2月、ガス漏れ事故でトビリシの友人宅で死去。
訳注5 ベリヤはグルジアのミングレル人で秘密警察長官。アルジンバは1990年、アブハジア最高会議議長に選出。1994年―2005年、アブハジア共和国大統領。
訳注6 2002年に国書刊行会から邦訳が出ている
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