不安定な世界 金融危機は国際安全保障の最大の脅威 ポール・ロジャース

  • 2008/11/18(火) 01:24:06

英国のシンクタンク、オックスフォード・リサーチ・グループ(ORG)は11月13日、国際安全保障に関する年次報告書を発表した。The Tipping Point?(転換点?)と題する報告書は,「現在の経済危機に対して、世界的な対応がなされないと、国際的安全保障に対する最も重大な脅威は、数億人が窮乏化することである。過激で暴力的な社会運動につながり、大きな紛争が生じることになるであろう」と警鐘を鳴らしている。報告書の執筆者のブラッドフォード大学のポール・ロジャース教授は、オバマ次期米大統領が引き継ぐ懸案事項の5つの主要な分野を取り上げている。(openDemocracy特約)


過渡期の時に、今の出来事の流れから一歩下がり、それらを理解する幅広い構図を特定し、それらがどこに向かっているのか確認しようとすることは有益であろう。米国でバラク・オバマが当選したことは、そのような機会を提供している。このコラムは、新大統領が引き継ぐ懸案事項の5つの主要な分野を概説している。イラク、アフガニスタン・パキスタン、アルカイダ運動、西側とロシアの間の緊張、世界的景気後退の安全保障上の影響である。ここでの分析はオックスフォード・リサーチ・グループの最新の国際安全保障の月例ブリーフィングでさらに展開されている。

イラク

 イラクでの治安状況は2007年から2008年にかけて良くなった。それは、変化しつつある紛争の力学を反映した、混ざり合った理由による。米軍の「増派」戦略は疑いなく効果があった。もっとも、米国のネオコンとその他の支持者が、これを主要ないし、唯一の要素そして指摘することは見当違いである。数百万人が住む場所を追われることになった暴力と不安感の結果、スンニ派社会とシーア派社会の強制的分断も一因となった。過激派のシーア派宗教指導者、ムクタダ・サドルのマハディ軍による停戦とアルカイダに反旗を翻し、米国と便宜上の同盟を結んだスンニ派の「覚醒運動」も一因であった。

 いずれにしても、そうした治安上の改善は脆弱なままである。10月の最終週以来のバクダッドやイラクのその他のところでの一連の攻撃は、こうしたことの一つの現れである。さらにより影響力のある兆候は、米軍の司令官がアフガニスタンにいる司令官がどんなに強硬に増強の要請をしても、イラクからアフガニスタンに兵力を向けることに消極的であり続けていることである。

 イラクでの米軍の将来を確保するための地位協定についての交渉は困難であることが分かった。バラク・オバマが来年1月20日に就任する前に締結されようとされまいと、新政権はより早い撤退を目指しそうだ。それはヌーリ・マリキ政府との関係を改善するかもしれない。

 しかしながら、基本線はそのままであり、それが退陣する政権を方向づけたように新政権の考え方に影響を及ぼすであろう。すなわち、イラクは米国にとって、その石油の埋蔵(米国の4倍近く)とその地政学的位置のために非常に重要である。オバマ政権の最初の2年間にするとした公約は、米国の戦闘部隊の完全な撤退と、残りの部隊の削減で、現在配備されている兵力の20パーセント以下にするというものである。これがもし実行されると、周辺地域で米国に対する見方が穏やかになるかもしれない。そうでないと、イラクは今後何年もイスラム戦士のための戦闘訓練の地帯のままであるかもしれない。

アフガニスタン・パキスタン 困難な領域

 イラクでは治安状況が緩和したが、アフガニスタンと西部パキスタンでは大きく悪化した。これは、ばらばらなタリバン民兵を増強させ、アルカイダを助けた。候補者としてオバマは、米軍を増強し、戦争を西部パキスタンに広げて、より強硬であることを約束しており、パキスタン国民の間に疑念をよんでいる。

 これが選挙の目的のために国内の聴衆を念頭に置いて練り上げられた立場なのかどうかはっきりしない。政治的理由づけは明らかである。すなわち、不人気な戦争に反対することが一つ。だが、2つの戦争地帯から敗北して撤退する可能性を受け入れることは実際、危険である。とにかく、選挙運動中の公約が守られると、オバマ政権は少なくとも、この問題ではジョージ・W・ブッシュに近くなるであろう。

 しかしながら、カナダと英国の多くの軍幹部(それに少なからぬ文官)は、アフガニスタンでの、どのような軍事的勝利の見通しについて非常に疑わしく思っている。何をしようとも、オバマ政権は友好諸国、特にアフガニスタンにはまり込んだ国とは意識して関与するであろう。何よりも、ここで同盟国の圧力により、真剣な見直しにつながるかもしれない。まだ多くの期待することがある。なぜなら、どのような見直しも、同地域での西側の占領の時代は終わったというより幅広い認識の一部でなければならないからである。だが、アフガニスタンでの本当の混乱とパキスタンでの不安定と危険の程度で、考えが変わるかもしれない。

ロシア 開かれたドア

 西側とロシアの間の対立の高まりーいくつかの問題の中で、エネルギー・パイプライン、2008年8月のグルジアとの戦争、米国のミサイル防衛の設置―は新大統領とそのチームが重大な懸念を持つ分野であろう。

 これはバラク・オバマが変化をもたらすことができる一つの政策分野である。エネルギー価格の急激な下落で、ロシアは経済問題にますます気を取られている。ロシアはまた、南オセチアをめぐってグルジアに介入したことが、グルジアの挑発という明白な証拠にもかかわらず、西側に激しい敵意と恐れを招いたことを承知している。このように、ロシアは緊張を緩和することに関心を持っており、より軟化した態度をとれば、いくつかの西側の国々から賛同が得られるであろう(11月14日の欧州連合とロシアの間の首脳会談は、両者間でその戦争によってほつれた関係を修復する希望の合図である)。

 オバマ・チームは特に、ポーランドとチェコ共和国でのミサイル防衛計画を遅らせ、さらに広く、米国の東西欧州との関係において、より意識的に多国間アプローチを発展させれば、関係を改善し得る。冷戦型の緊張の激化を避ける機会は彼の政権の手にある。

世界的秩序 危機

 武装紛争と反政府活動についての多くの専門家の間では、そうした安全保障の問題が、社会経済的分断と環境上の制約にどれほど根ざしているか見るためには、型にはまった理解を超える必要があるという認識が広まっている。

 11月15日にワシントンでG20の首脳会議に参集するような世界の指導者たちは、こうした洞察力をまだ持ち合わせていない。現在、首脳会議は現在の銀行危機を封じ込め、対処するための対策に集中しそうである。結果は有益かもしれないが、それ自体、より広い世界的苦境にとって、ほとんどか、まったく関係がないものになるであろう。そうした苦境の中では、持続不可能な不平等、社会的緊張、機能不全か不在の統治、それに気候変動が、何百万人の生活を破壊しているか脅かしている。

 G20の会議やそれと同等の地域や世界的な会議は、金融危機をそうした大きな規模の問題と関連して見る必要がある。こうしたことは、現在は、根本的経済改革を導入する機会も提供していると認識しはじめる歩みの変化になる。そうした改革は、山積し、絡み合った問題に対して組織的な対応をし始める。

 世界では1970年代以来、急激な経済成長があったが、その恩恵のほとんどは約12億人の世界のエリート社会の手に集中していた。主に大西洋社会と西太平洋の国々であり、中国、インド、ブラジルなどの国々の数百万人の新興の特権集団もそうであった。同時に、社会の主流から取り残された人々の多くは、この期間に教育、識字能力、通信での向上を、富の不公正な分配についての認識を高めるために使った。

 仮に現在の傾向が続くなら、世界中の最も貧しい社会の間の何億人もの人々が最も苦しむであろう。これは過激で暴力的な社会運動の台頭を招き、国家による強硬で抑圧的反動を次々と招くであろう。インドで激化しているナクサライトの反乱、中国での社会的騒乱の広範な問題は初期の兆候である。この点に関して、遠い将来ではなく、今後12ヶ月の間で最も重要な任務は、現在の経済危機に対して、世界的な社会・経済的格差の拡大に歯止めをかけることに重点を置くようなやり方で対応することである。

 例えば、これは世界的な南の国の経済を改善するための貿易改革、債務帳消し、持続可能な開発のための援助投資を必要とするであろう。こうした動きは、急を要する問題として必要とされている。多くの世界の人々の疎外化と苦しみが激化する、より分断された世界システムが確固としたものになることを防ぐためである。

 G20首脳会議とそれに関連した会議は選択に直面している。つまり、真の世界的社会から生まれ代表している、想像力に富んだ総合的な対応を発展させることができるか、それとも、世界のエリートを代弁する狭い集団の懸念を反映した個別の対策を産み出すのかである。2008年から2009年にかけて、ワシントンとその他の首都でなされる選択は、世界が今後10年間、少しは平和になるかどうか決めることになるであろう。

*ポール・ロジャース 英国ブラッドフォード大学平和学教授 オックスフォード・リサーチ・グループ(ORG)のコンサルタント ORGは1982年に設立されたシンクタンク。独立した非政府組織で、安全保障の問題で肯定的変化をもたらすことを追求している。

オックスフォード・リサーチ・グループ

The Tipping Point?の全文

本稿は独立オンライン雑誌www.opendemocracy.netにクリエイティブ・コモンのライセンスのもとで発表された。 
原文


(翻訳 鳥居英晴)

すべてを変えた1週間 新自由主義経済学者の3つの妄想 アン・ペティフォー

  • 2008/09/28(日) 15:44:18





この1週間ですべてのものが変わった。米国での一連の異様な出来事―レーマン・ブラザーズの破たんからメリル・リンチの売却まで、巨大保険会社AIGの国による買収から連邦準備制度理事会の緊急救済案までーは金融市場における危機を、世界を規定する経済統治のモデルの基盤そのものに関する議論に変えてしまった。

30年間にわたって、世界的な金融という船はグローバリゼーションの経済学―シカゴ学派の欠陥のある新自由主義経済学―によって舵を取られてきた。規制緩和と自由化を求めた彼らの航海図によって、世界経済は前例のない大きさの金融ハリケーンに遭ってしまった。この危機は、不動産の価値、雇用、年金と投資それに大小の会社がやっと手に入れた業績をとてつもなく破壊するものであることが判明するであろう。とりわけ、この危機は数百万の罪のない市民、そのほとんどは貧しい人々であるが、の生活と未来を損なうであろう。

伝統的エコノミストは、わたしが"debtonation day"と呼ぶ2007年8月9日に金融ハリケーンが上陸した時でさえ、危機が来ているとは見なさなかった。彼らはまだそれを理解していない。彼らは、金融部門の船の主計官つまり船長、乗組員、乗客に警告をしそこなった。いまでも、彼らの知的・政策地図は、これから先の道を示していない。

これは、伝統的な新自由主義経済理論が経済における金融の役割を軽視するからである。システム的破たんは、伝統的経済学の想定された世界では許されていない。シカゴ学派のほとんどは、アービン・フィッシャーのBooms and Depressions (1932年)を読んだことがない。ジョン・メイナード・ケインズの貨幣と利子についての本を読んだことがあったとしても、金融の規制についての彼の論理的根拠を中傷するか過小評価するためであった。代わりに彼らは、「大きな政府」の強力な敵である、自由市場主義者のミルトン・フリードマンをもてはやした。

しかし、2008年9月14-20日の1週間に、一般市民とメディアの多くでさえも、金融部門と政府の知的・政策の破たんの大きさを記録し始めた。誰ももうだまされないように見える。自由市場主義者はいまや、社会主義者が当惑するような熱心さで大きな政府を奉じている。既成メディアでのより保守的な意見でさえも、彼らが長年支持してきた欠陥のある経済学に異議を申し立て始めた。

世界は回転しているのかもしれない。だが、変化はまだ十分ではない。新自由主義エコノミストは世界経済の実権を握ったままであり、何が起きているのかについて、影響力のある誤診を広め続けている。こうしたエコノミストには、世界の主要中央銀行総裁、財務相が含まれる。世界経済が、このすべてを飲み込むような嵐から安全に脱け出すためには、彼らの経済学と3つの主な妄想に異議を申し立てることが重要である。

3つの妄想

最初で最も重要な妄想は、銀行や金融機関が実際には破産している(insolvent.)のに、非流動的である(illiquid 資産が現金化しにくいこと)と信じていることである。システム的破産は、またも、伝統的経済学の世界からは断固として排除されている。危機を長引かせ、深めた2007年夏と秋の破産を認めることは アリスター・ダーリングやハンク・ポールソンのような中央銀行総裁や財務相の破たん(failure)であった。いま破産を認めることは破たんである。納税者による流動性資金が中央銀行から際限なく、非効率に流れている背後にあるのは、この破産である。

第2に、伝統的経済理論を尊敬しているため、中央銀行総裁は幻想のインフレ圧力を許し、高い金利を維持し、金融緩和を拒否することを正当化している。石油と食料価格の上昇にもかかわらず、インフレは、いまは低下している。資産価格(不動産価格の下落を考えよ)のレバレッジ解消は、あらゆる種類の価格を低下させるであろう。また歯止めをかけないと、デフレを引き起こすであろう。デフレは緩やかなインフレより、国民全体にとって、ずっと破壊的であろう。1930年代と1990年代の日本は、厳しい前例である。中央銀行総裁は伝統的経済理論の行き詰まりから脱出し、下向きで、債務リバレッジ解消のデフレスパイラルを阻止するために行動しなくてはならない。

第3で最も緊急なものは、中央銀行総裁と財務相は、伝統性の制約を脱しなければならないし、手っ取り早い解決策ではなく、システム全体の解決策を考えなくてはならない。数人の空売り投機家を禁止することは、総合的な見直しが必要なシステムをいじくり回しているに過ぎない。

4つの解決策

では何をしなければならないか?4つの対策がある。
第1に手始めにすることは、1933年にフランクリン・ルーズベルトが1週間の銀行休業日を宣言したことであろう。それから、連邦準備制度理事会、金融サービス機構、イングランド銀行は時間をかけ、うまく隠された「有害廃棄物」―60億ドル以上のいわゆる「クレジット・デフォールト・スワップ」(CDS)を含む、膨大な申告していない負債―をチェックするために、銀行の帳簿を調べることができる。監督機関が問題の大きさを適切に判断して初めて、確固とした、適切な行動を取ることができる。現在は、彼らは銀行が隠した金融の「大量破壊兵器」がどこにあるのか不確かで、われわれの大量の金をダブダブにしている。

第2に、金利を高めに保つための隠れ蓑でしかない「インフレ目標政策」には終止符を打たなければならない。高金利は貸し手や債権者には結構だが、債務者にとってはとてもつらいものである。貯蓄家より債務者のほうがずっと数が多い。この金融危機、また地球規模の気候変動の脅威が立ち向かわなくてならないものなら、エネルギー安全保障への投資に金を出すのを助けるために低利の融資金(あぶく銭ではない)が必要になる(このテーマについては、わたしが共著したA Green New Dealを参照のこと)。

第3に、イングランド銀行と連邦準備制度理事会は、すべての金利について支配権を取り戻すべきである。銀行間貸出金利(いわゆるLiborレート )(訳注)はもはや、英国銀行協会で毎日行われる銀行役員の私的な秘密の会議で決められるべきではない。金利は社会に説明する義務を負う委員会によって決められるべきである。金利を設定する時には、金融だけでなく、労働、産業という経済を動かす、すべての人々の利益を考えるべきである、

第4に、すべての金利について支配力を再び行使するために、イングランド銀行は資本規制を再導入しなければならないであろう。それには、1947年のブレトン・ウッズで合意されたように、新たな国際的な合意が必要かもしれない。

これらはすべて必要であり、可能でもある。これらは、システム的な脅威に対処するために必要な初期的なシステム的措置である。市民は、国の金融の番人がそれらを迅速に実行することを期待する権利を持っている。

もし彼らがそうするなら、これらの番人は新しい倫理的指針を必要とするであろう。新しい航海士であり、新しい舵取りである。しかし、必要のないもの一つは、新しい航海図である。それはジョン・マイナード・ケインズが『雇用・利子および貨幣の一般理論』で提供している。その考えは、1930年代の大恐慌の後に世界に安定の時期を取り戻したように、現在でもうまくいくであろう。これは、バリー・アイケングリーンとピーター・H・リンダートが(The International Debt Crisis in Historical Perspective, MIT Press, 1991で)「国際資本市場での黄金の安定時代」と説明した時期であった。

そのような黄金の時代に戻るためには、すべてを変えたこの1週間によって露呈された、ひどい破たんに責任がある貸金業者、投機家、伝統的エコノミストは身を引かなくてはならない。すべてのものが、より良きものに変わるために。

*アン・ペティフォー Advocacy International代表。1990年代に、最貧国の債務を2000年を区切りに帳消しを求める運動、ジュービリー2000に関わった。

Advocacy International

訳注 ユーロ市場の中核をなすロンドンの銀行間資金取引のうち、出し手金利。
本稿は独立オンライン雑誌www.opendemocracy.netにクリエイティブ・コモンのライセンスのもとで発表された。 . 
 
原文

 
(翻訳 鳥居英晴) 

利害の相違より共通の脅威が重要 ロシア・グルジア戦争後の世界  レイン・ミュラーソン

  • 2008/09/16(火) 13:26:06



 「それは、悪に対する善の戦いではない。それは、力の均衡のために戦っている勢力同士の戦争である。この種の戦いが始まると、それは、他の戦いより長く続く。なぜなら、神はどちらの側にもいるからだ」−パウロ・コエーリョ 『アルケミスト』(訳注1)

2008年8月8日は北京五輪の開幕日としてよりも、ソ連の崩壊やベルリンの壁の崩壊と同じくらい重要で、9・11をも影を薄くさせるくらいの国際社会の発展でのより重要な節目を表すものになるであろう。姿を表しつつあるものは新しい冷戦ではないかもしれないが、新しい分断の線が最も重要な安全保障の問題上に出現しつつあり、その結果、さまざまな国際機関の役割が変わらざるをえないというのは確かなようだ。「龍」はまだ静かに、かつ賢明に力をつけつつあり、2008年8月8日の勝利を楽しんでいるが、その歯と爪をみせたのは、猟師と猟犬に囲まれた「熊」であった。

2008年8月8-12日のグルジアとロシアの間の戦争と、それが議論になり、いまだ暴力的な余波があるという状況を踏まえて、コーカサスの出来事を理解するためには、その地域の歴史を掘り下げてみるばかりではなく(それが助けになることはあるが)、より広い背景で歴史と進行中の紛争を見ることが必要である。つまり、エネルギー資源へのアクセスなど世界秩序の将来をめぐる新しい地政学的争いという背景である。 

そうしたアプローチにより、コーカサスでの紛争に、多少は恒久的で、満足のいく解決策があるのかどうかが明らかになるかもしれない。確かなことは、手っ取り早い解決策はないということである。また、すべての外部のパワー(ワシントン、ブリュッセル、モスクワを含む)が一つの方向に進むことに真摯に同意するというシナリオはありそうもないが、仮にそうなっても、密接に、個人的に、感情的に関与した人たちの怒りや認識、誤解があるため、予見できる将来において、すべてに等しく受け入れられるような成果は生まれないであろう。 

グルジア・ロシア紛争の主因は、ノール・アチャーソン、ジョージ・ヒューイット、ドナルド・レイフィールドらのopenDemocracyの筆者たちが探ったように、同地域の近代史にある。それには、ヨシフ・スターリン(南オセチアとアブハジアが「問題」となる政治的状況を作り出した)とズビアド・ガムサフルディア(ソ連後の初代大統領で、彼の民族主義的な政策は、それらの地域をグルジアの支配から離れさせることになった)などの指導者の政策が含まれる。

しかし、今日の状況で最も重要な要素は、外部の国が(主に米国とロシアが)対立した世界的、地域的利害を有しー法律用語を使うとー依頼人として行動しているということである。一方、グルジア、アブハジア、オセチアの指導者たちは、自分たち自身の課題を抱え、依頼人たちを操ろうとさえしているのに、依頼人の代理人として見なされざるを得ないということである。openDemocracyでのフレッド・ハリディの議論に関して言えば、時には実際、しっぽが犬を振るかもしれない。もっともそれは、二次的な事柄に関してだけであって、通常、犬自身が振られていることを大して気にしない時だけである。

グルジアのミハイル・サーカシビル大統領は、テレビ番組で恐らくうっかりと、問題なのはグルジアでもその領土保全でもないと言った。ロシアはグルジアとではなく、西側と戦争状態にあると彼は言った。ある意味では、そうである。けれども、これは、コーカサスでロシアに対して戦争をしているのは西側であることも意味する。

変化する世界秩序

9・11以後、多くの米国とその他の西側の指導者たちは、西側とその他に対する最も重大な安全保障上の挑戦は、イスラム過激主義とテロリズムであると真剣に信じた。今日、そのような認識は、かなり過去に属するものである。

1998年に出された影響力のある報告書は、「グレート・ゲーム」、「文明の衝突」、「来るべき無政府状態」、「歴史の終わり」(訳注2)の4つのシナリオを示している。(Zalmay Khalilzad & Ian Lesser, Sources of Conflict in the 21st Century: Regional Futures and U.S. Strategy , RAND Corporation) 著者らは最後の2つのシナリオは、前の2つのシナリオよりありそうもないと考えた。彼らはグレート・ゲーム説を支持しているように見えた。新しいグレートパワー・ゲームでは、西側(まず第一にワシントン)対中国とロシアという構図である。イスラムの脅威は、米国に対する最も重大な挑戦とは見なされていなかった。9・11はそうした優先度を変えたかもしれないが、一時的なものであったのかもしれない。

この点に関して、ロバート・ケーガン(訳注3)が2007年9月にした議論は示唆的である。「近代化、資本主義、グローバリゼーションという強力で、時に非人間的な力に対するイスラム主義者の戦いは、現代世界における紛れもない重大な事実である。だが、奇妙なことに、近代化と伝統主義の間のこの戦いは、主に国際舞台における前座の出し物である。将来は、過激イスラム主義者の想像上の敬けんな過去を回復するための活動ではなく、グレートパワーの間のイデオロギー的戦いで支配されそうだ」("The world divides....and democracy is at bay", Times, 2 September 2007)。 

このシナリオでは、異なった社会・政治体制、文化を持った国々が、共通の脅威に―地球温暖化、エネルギー資源の不足、大量破壊兵器の拡散、テロにー緊密に協力できるのか、相互関係より国内制度における相違のほうを優越させるのかどうか重大なジレンマになっている。

ケーガンは次のように書いている。「将来は、過激なイスラム主義者の想像上の敬けんな過去を回復するための活動ではなく、グレートパワーの間のイデオロギー的戦いで支配されそうだ」。彼は米国に対し、次のように助言している。「他の民主主義国とともに、共有する原則と目標を反映し、強化するための新しい国際的な機関を作るべきである。恐らく、民主主義国家の新しい連盟は、今日の問題につい定期的な会議と協議をする」。そのような世界政治の形態の兆しが見え始めているという点で、ケーガンは正しいのかもしれない。実際、もしこれが現在起きつつあるものならば、ケーガンの処方箋に従っている人々の政策の結果、世界の新たな敵対的陣営への分裂はかなり実現しつつある。

Laurence Jarvikは、主に中央アジアでの西側NGOの役割についての鋭い記事の中で、ザルメイ・ハリルザド(訳注4)とイアン・レッサー(訳注5)が描いた2つの最もありそうなシナリオについて述べている。彼は次のように考える。もし米国が、国内制度が自由民主主義の基準と合致しない国々の安定を損なう勢力(一部のNGOを含む)を鼓舞するのではなく、そうした国々の能力向上を助けるならば、米国と国際社会全体はより利益を受ける。(Laurence Jarvik,"NGOs: A ‘New Class' in International Relations", Orbis, 51/2, Spring 2007)。 

中国やロシアのような国に対する新しいグレートパワー・ゲ-ムの中で、同盟国にしようと、その国の安定を損なうことは、不安定とテロの新しい紛争地域を作ることになるであろう。マイケル・ショワー(訳注6)は「国民国家と戦い、打ち負かすことを好んだブッシュ政権の冷戦的特性は、スンニ派イスラム主義者による一層危険な国境を越えた脅威を計り知れないほど強めた」と言う。(Marching Toward Hell: America and Islam after Iraq, Free Press, 2008)。 

問題なのは、中国とロシアが専制的であり、従って西側民主主義国のように行動しないということではない。アウグスト・ピノチェトのチリは、ワシントンの助言にまったくしっかりと従った。問題は、中国とロシア、台頭しつつあるインドやブラジル、その他の新興国が発言権を持っていないか、ほとんど持たない既存の国際権力構造に同化されることを拒否していることである。それらの国は、彼らの思うままにではないにしろ(それは無理な話である)、少なくとも、ほぼ対等なパートナーの間で交渉するという条件であれば、ロバート・ゼーリック前国務副長官の言葉を借りると、国際社会で「責任ある利害共有者」になるかもしれない。

リチャード・サクワ(訳注7)は「(ロシアの)国際体制への制約された形の適応は、戦略的方向がはっきりしていたところで現れた。つまり、(長期的には加盟は排除されていないものの)加盟(accession)なき統合(integration)である。だが、統合のペースと形式はロシアの裁量のままに残されている」と書いている。わたしは「加盟」という言葉ではなく、「同化」(assimilation)という言葉を使う。西側の自由民主主義国のようになろうとしている小さな東中欧諸国とは対照的に、中国と同様ロシアは、既存の体制に同化されることを拒否している。 

ボリス・エリツィンのロシアは、西側の助言者に促されて、そのような同化政策をとろうとしたが、国民にとっては悲惨な結果をもたらした。問題は例えば、東中欧の小さな諸国の場合うまくいくことが、より大きな問題を持った大きな国には、まったく性質が異なるかもしれないということである。

さらに、サクワは「今日の国際体制は、台頭しつつあるグレートパワーの統合のためのメカニズムを持っていない」と言う。その統合の条件は、ワシントンやブリュッセルから指図されるのではなく、協議されるべきである。新しい台頭しつつある現実の中で、ロシアは重要な問題も、それほど重要でない問題でも、不平を言い過ぎてきた。一方、中国は同化の試みに静かに抵抗するという、より賢明でより効果的な戦略を用いてきた(それがチベット、ダルフール、人民元の為替レート、表現の自由をめぐってあれ)。ポール・ロジャーズが示しているように、これは中国が世界に、代償を払うことなしに、商業的影響力、恐らく将来には、政治的影響力を及ぼすことを可能にしている。

外の世界に対する、このような異なった対応は、さまざまな国民政治の性格によるものかもしれない。しかし、それはロシアと西側の利害が、中国と西側の利害よりも厳しく衝突したという事実を反映しているのかもしれない。もっとも、主要な競争相手が誰になるのか(あるいはすでに誰なのか)は疑いないが。ジェフ・ ダイヤーが指摘するように、サワクの言う「台頭しつつあるグレートパワー」の一つの行動が、世界制度全体に影響力を及ぼすような形で、お互いに影響を及ぼす余地もある(Geoff Dyer, "Russia could push China closer to the west", Financial Times, 27 August 2008)。


ワシントンとその同盟国は、ロシアを同化させる、言い換えれば、ワシントン・コンセンサスに従い、米国が主導する自由世界の秩序に加わる自由民主主義市場国家に変換させることに失敗した。今や、NATOをグルジアとウクライナに拡大し、ロシア国境近くに弾道ミサイル防衛を建設し、エネルギー・パイプラインのルートをめぐってロシアと対抗することによって、ロシアを封じ込めようとしている。

そうしたグレート(むしろささいな)ゲームでは、アブハズ人、グルジア人、オセチア人や一部の小さな国は(より多数のウクライナ人もまた)、主として歩兵である。彼らの生活と幸せが、将来の政治的世界秩序のために犠牲にされることはあり得る。こうしたゲームは、米国の指導者が主張するような、コーカサスでの民主主義についてでも、グルジアの主権と領土保全についてでもない。また、ロシアが主張するような、南オセチア人を「保護する責任」についてでもない。もっとも、欺まんと自己欺まんの間の線はしばしば非常に細く、そうした主張をする人々の多くは本当に誠実であるかもしれない。こうした見方は、1920年代にそうであったのと同じように真実であり、コーカサスの紛争に関与している主要な国に示されなければならない。

今世紀の最も素晴らしい音楽家の一人、ワレリー・ゲルギエフがグルジアによって破壊されたツヒンバリの廃墟の中でコンサートを開いた理由をわたしは理解する。それは彼がウラジーミル・プーチンの友人であるからではなく、彼がオセチア人であるからである。(ロシアとグルジアで)人気のある俳優・歌手のヴァフタング・キカビーゼがロシアの政策だけに過ちを見る理由をわたしは理解する。それは、彼がグルジア人であるからである。

アーネスト・ゲルナー(訳注8)は次のように書いている。「民族主義者が自分たちの国に対する不正へ持つ感受性と同じように素晴らしい感受性を、自分たちの国が行う不正へ持つなら、国民感情の政治的な効果は大いに損なわれるであろう」(『民族とナショナリズム』)。そうした自分のグループしか考えられない考え方(tribal mentality)から自由になれる人々が多くないことは残念なことである。物事を別の面を見るには、しばしば多くの知的努力、勇気と感情面の成熟が必要である。しかしながら、個人的にも感情的にも関与していない人々は、ゲルギエフやシェワルナゼなどの人々を含め双方から、彼らが話し、売り込もうとしていることを額面で受け取ることなく、聞くことが必要である。

強い非対称

民主主義と人権、さらに主権と領土保全の原則は重要である。だが、それらの価値を侵害しているとして反対者や敵対者を非難する時には、スローガンとしてそれらを繰り返さないことで、それらは促進され保護される。今日の世界では、より静かで安定していた時代以上に、こうした価値は、政治主体の矛盾した言葉や行動を暴露することによって守ることができる。

コソボ・アルバニア人がセルビア人に迫害されている時に、クレムリンは彼らを保護するために駆けつけることはなかった。ホワイトハウスは、セルビアの領土保全を気に掛けることはなかった。反対に、ワシントンは事実上の独立につながったコソボ州の政権を支持した。モスクワは、トビリシが友人であり、NATO加盟を望んでいなければ、アブハズ人や南オセチア人の独立の願望に対して、そのような理解を持つことはなかったであろう。ワシントンは、グルジアが再興したロシアと戦略的にそのように近くなければ、パプアニューギニアではなくグルジアにおける民主主義の方を気遣うことはなかったであろう。さらに、バクー・トビリシ・ジェイハン(BTC)パイプラインは、ロシアを迂回して、グルジア領土を曲がりくねって通っている。

オセチア人とアブハズ人に対するクレムリンの関心は、主に道具としてである。それは、「グルジア人のためのグルジア」というスローガンを使った、ソ連後の初代大統領、ズビアド・ガムサフルディアの近視眼的で性急な政策であった。それは、3代目の大統領、ミハイル・サーカシビルであり、彼の領土に対する強硬策は、地政学的ゲームの本気なプレーヤーなら滅多に見逃すことがない機会をロシアに与えた。小さな国は、世界的なパワーゲームで利用されるというのは事実である。

力の議論

ロシアやNATOの指導者も、そうした分析を受け入れないことは明白である。前者は、彼らの動機が不誠実なアングロサクソンの動機とほんの僅かでも似ていると考えられることに対し、聖なる怒りでいっぱいである。一方、後者はヨシフ・スターリン(グルジアでもロシアでも、その独裁者を崇拝する人たちは実際、たくさんいる)の信用できない後継者と比べられることに怒っている。

しかしながら、そうしたマキャベリ的なアプローチへの代替案は、往々にしてホッブスの世界で行動しなければならないことになる。だが、それはまるでロックの世界にいるかのようである。(ハンス・モーゲンソーによって十分分析されたように)ケーガンは、世界の人々は「国々が変わらずパワーによって定義された利益を追求している」世界に住んでおり、住み続けるであろうということを認めている。もっとも、ケーガンは(モーゲンソーとは対照的に)、西側民主主義国、特に米国は国際政治に道徳を持ち込み、イデオロギーと政権の型が重要である主張して、見事な知的な180度の転換をしているのだが。(Robert Kagan, "Power Play", Wall Street Journal, 30 August)。

確かに、それらは重要である。特に、西欧のいわゆる「ポストモダン」、ウェストファリア後の国際関係との関連では。クリストファー マイヤー(訳注9)は、現実主義者の伝統により正直に従っている。彼はこう書いている、「仮にロシアが、われわれが世界で広まってほしいと思っている種類の完全に機能した民主主義だとするなら、その外交政策は少しも異なるものではないであろう。それにルーブルの大金を賭ける」。(Christopher Meyer, "A return to 1815 is the way forward for Europe", Times, 2 September 2008)。

成熟した自由民主主義国は、これまでのところ、互いに戦ったことはない。だが、それらは(特にワシントンンは)他のどの国よりも他に対して武力を行使してきた。(Stephen Kinzer, Overthrow: America's Century of Regime Change from Hawaii to Iraq, Times Books, 2007)。そのような武力の行使は、常に国際法や道徳と合致していた訳ではない。1920年代末にカール・シュミットは、「ある国が人道の名目でその政治的敵と戦う場合、それは人道のための戦争ではない。特定の国が軍事的敵に対して、普遍的な概念を侵害しようとするための戦争である。・・・人道という概念は、帝国主義的拡張の特別に便利なイデオロギー的道具である。倫理的人道的な形では、それは経済的帝国主義の特別の道具である。ここで、プルードンのやや変形した表現を思い起こすかもしれない。人道を呼び覚ませるものは誰でも、だましたいのである」。(Carl Schmitt, The Concept of the Political, University of Chicago Press, 2007)。

現実的反転

コーカサスにおいてどのような種類の措置が取られるのかは、大国、特にワシントンがどのような世界を望むのか次第である。もし米国が、ロシアは西側にとって信頼できるパートナーではなく、従って封じ込める必要があると思うなら、グルジアもウクライナも現実的な限り早くNATOに加盟させるべきである。ロシアをG8から追放し、世界貿易機関への加盟の見通しを閉じること(その他の措置)は有効であろう。欧州は、意味ある経済的制裁が現実的になるには、ロシアの石油とガスに依存し過ぎている。

そのような場合、ロシアは恐らく正当に、グルジアの離脱した領土をロシアに組み入れ、ウクライナの親ロシア地区で騒乱を起こそうとするである。クリミア半島の将来は重大な紛争の場になるであろう。2017年に20年の貸与期間が切れる時、ロシアがその艦隊をセバストポリから退去させるか疑問である。ウクライナがNATOに加盟すれば、必ずクリミア半島、特にセバストポリをめぐって危機を引き起こすであろう。

ロシアはワシントン・コンセンサスに従おうとしないし、その経済的・安全保障の利益を守ろうと積極的に主張する。 ( Rein Müllerson, "The New Cold War: How the Kremlin Menaces both Russia and the West", Chinese Journal of International Law, 7/2 [May 2008]) しかし、それにもかかわらず、もし西側(米国を含む)が、宗教が動機のテロや大量破壊兵器の拡散、地球温暖化、エネルギーと食糧の不足などの地球規模の懸念を解決するうえで、ロシアが有益な(時には不可欠な)パートナーであると信じるなら、違ったアプローチを追求する必要がある。確かに、政治家は窮地から後戻りしている時でも、Uターンしているとは決して認めない。しかしながら、それがコーカサス紛争や世界全体での緊張が、予測不能なまでに拡大するのを防ぐために必要なことである。

忍耐の時

アブハジアと南オセチアの独立を正式に承認することで、ロシアはコソボを承認した西側諸国と同じように軽率に行動した。両者はこうして領土紛争というパンドラの箱をさらに開けてしまった。クレムリンの決定には、2つの大きな間違いがある。第1にモスクワは、そうでなければロシアのNATOに対するスタンドプレーを理解するか、歓迎さえもしたかもしれない国々の多くからの支持を今や期待できないでいる。中国やインド、多くの国々は、「自国自身」の少数民族が持つかもしれない独立要求への励みになることに極めて神経質になっている。

この点では、一部の政治家が新しい国家、例えば、コソボ、アブハジア、南オセチアの承認はそれぞれのケースでまったく異なり、前例とならないと空疎な主張をしているのは、コーカサスもバルカンでも同様に間違いである。このことについての相違や類似点は、見る人によって違ってくる。もし証明が必要なら、ビシュケク(ドゥシャンベが正しいー訳者)での上海協力機構の首脳会議でロシアに与えられた熱意に欠けた支持がそれを証明している。

第2に、それらを承認して、クレムリンは奥の手を使ってしまった。手の内を見せずに、それを使うと脅し、実際にはテーブルの上に投げないことの方が、クレムリンの利益であったであろう。これはマキャベリ的に聞こえるかもしれないが、オセチア人やアブハズ人の苦境にクレムリンが流している嘘泣きの涙や、グルジア人やウクライナ人の運命にワシントンが流している嘘泣きの涙を信じるよりは、より良く、より正直な事態の評価である。

今必要なことは、両者とも修辞を抑えることである。その後で、小さな実際的な措置が有益であるかもしれない。ロシアの行動には、西側は行動でお返しをしなくてはならない。NATOは、グルジアとウクライナへ拡張するという方針を直ちには取り消すことはできない。しかしながら、このプロセスを促進するのではなく、ブレーキを掛けることは賢明であろう。ロシアは、これらの離脱共和国を必要としていないことを理解している。必要なのは、友好的なグルジアである。しかしながら、そうしたグルジアになるためには、米国はロシアの囲い込みと封じ込めの目的で同国を使うことをやめなければならない。

ロシアは。時に不可避的に西側の選ぶものとは異なる自己の利益を追求するが、世界的規模の難題に直面した中で、西側にとってグルジアよりも重要なパートナーである。もし、世界的な「テロとの戦い」が実際に最も重要な問題の一つであるなら、これはとりわけ、本当のことである。ついでに言えば、もし、ロシアが敵(あるいは少なくとも、潜在的な敵として)として、あるいは、パートナー(少なくとも潜在的なものとして)見られない場合にのみ、グルジアやウクライナは、ロシアよりもっと重要なパートナーとなる。

これは、西側はロシアとの協調関係のために、こうした小さな国を犠牲にするべきであると言っている訳ではない。これらの国は、ロシアと西側民主主義国の間の協力関係からも、彼ら自身のロシアと西側との協力からも利益を得るであろう。ロシアの周辺にある小さな国に対して、どちらか一方を支持するように強制したり、後押しすることーわれわれの側につくのか敵なのかーということはそのような国にとって、極めて不利益である。さらに問題の原因が、ロシア(いわゆる親ロシアの政治家を積極的に支持している)なのか、西側(親西側指導者を支援している)なのかは問題ではない。どちらの場合も、指導者が栄えても、国民は苦しむ。

当面の措置の一つとして、グルジアは離脱した地域と「武力不行使」の協定を結ぶように説得されるべきである。その後に、他の協力的措置が可能になるかもしれない。仮にグルジアがそれらの領土を奪還できたとしても、ロシアとの永続的友好関係が樹立されてのみ可能である。とちらも、すぐにはそうならないであろう。従って、忍耐が必要である。ここでもう一度、グルジアやロシア、米国よりも中国から学ぶことの方が多いようだ。

欺まんのベール

わたしは国際法の教授として、国際法の観点から状況を評価することが期待されるかもしれない。わたしはそれができるが、わたしと読者の貴重な時間を浪費することになる。なぜか?コーカサス紛争に直接関与している人々、どちらかの側に強く共感している人たちが、国際法の専門用語を使っている状況のためである。(侵略、占領、ジェノサイド、人種差別、領土保全、平和執行、人道的任務、条約の神聖)という言葉が、何の制約もなく、嬉々として、独善的な怒りで、ジャーナリストばかりでなく詩人もうらやむ自信でもって使われている。

このような状態で、地味な専門家の私見としては、国際法の学者の一つの任務は、法律の専門用語が隠そうとしている利害を垣間見るために、その悪用されたベールをはぐことである。超大国が新しい対立に向かっているという危険な動向を逆転させることが可能なのは、欺まんと自己欺まんを暴露することによってだけである。その対立は、以前のものとは対照的に、イデオロギー的原因がなく、実利的な利害の相違よりも、共通の脅威と挑戦の方がより重要となっているようだ。


*レイン・ミュラーソン(Rein Müllerson) キングズ・カレッジ・ロンドンの国際法教授。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス客員教授、国連人権委員会委員。エストニア第一副外相(1991−92年)。

訳注1 ブラジルの作詞家、小説家。
訳注2 「グレート・ゲーム」は、「中央アジアの覇権を巡る大英帝国とロシア帝国の敵対関係と戦略的抗争を指す。アーサー・コノリーが命名した言葉といわれる」(ウィキペディア)
「文明の衝突」は米国の政治学者サミュエル・P・ハンティントンの著書の題名。冷戦が終わった現代世界においては、文明と文明との衝突が対立の主要な軸であると主張する。
「来るべき無政府状態」はジャーナリストのロバート・カプランの著書の題名。冷戦後の世界は、民族紛争が頻発する世界となると主張。
「歴史の終わり」は米国の政治経済学者フランシス・フクヤマ著書の題名。「『歴史の終わり』とは、国際社会においてリベラルな民主主義と資本主義が最終的な勝利をおさめ、それ以上の社会制度の発展が終わり、社会の平和と自由と安定を無期限に維持するという、将来における仮説である」(ウィキペディア)。
訳注3 米国政治評論家、ネオコンの代表的論者。
訳注4 米国連大使。アフガニスタン駐在大使、イラク駐在大使を務めた。
訳注5 ワシントンのシンクタンク、米国ドイツ・マーシャル基金の上級研究員。
訳注6 前CIA職員、ビンラディン班長。
訳注7 ケント大学ロシア欧州政治学教授
訳注8 歴史学者、哲学者、社会人類学者。『民族とナショナリズム』岩波書店刊
訳注9 英国の前駐米大使


本稿は独立オンライン雑誌www.opendemocracy.netにクリエイティブ・コモンのライセンスのもとで発表された。 . 
 
原文

 
(翻訳 鳥居英晴) 

グルジアに対する西側の幻想 紛争地域についての理解が不可欠 ドナルド・レイフィールド 

  • 2008/09/03(水) 00:30:46




2008年8月8-12日のグルジアとロシアの5日間の戦争の残り火は完全には消えていないが、フランスのニコラス・サルコジ大統領が交渉し、ロシアのドミトリー・メドベージェフ大統領とグルジアのミハイル・サーカシビリ大統領が合意した停戦協定で、この激しく、破壊的で悲劇的な戦争を終わらせる希望が出ている。

さらに広い視点から言えば、戦争によって住む家を失い、傷ついた市民が、破壊された生活を再建するうえで、ささやかな安全と人道支援を受けることができるようになった時には、その背景、原因、教訓を完全に調査する場所が作られるべきである。この大きなプロジェクトに、いくつかの初歩的な解説を提供することは、この初期の段階で適切かもしれない。

この「短く、汚らわしい戦争」についてのメディアの報道の多くは、精力的で、詳細であった。ロシアとグルジアの広報官によって伝えられる偏向した(多くの場合、まったくの虚偽であった)事態の説明に疑問を呈し、多くの疑念を示した。これとは対照的に、評論家たちは、紛争の原因を探るという基本的な仕事への関心を失っている。実際、多くのおびただしい言論は、現地と地域の要素を完全に無視し、手軽な地政学を援用している。それはまるで、今回起きたことの中心にある南オセチアとアブハジアが存在しないかのようである。

南オセチア 今回の火事

南オセチアは、法的にはグルジアの中にある小さな領土で、今回より長く、同じように汚らわしかった1991−92年の戦争以来、グルジアの支配外にあり、5日間の戦争の直接の引き金であった。この地域の背景をより深く見れば、これは起きるべきではなかった紛争であったことを示している。中央コーカサスの南山麓に住む約4万人のオセチア人は、北側の山麓(ロシア領)に住むオセチア人の主体とはほとんど別に発展し、異なる方言を話すまでに至った。700年間にわたり、彼らはグルジア人の村と混在した村に住んできた。平和に混じり合い、宗教は同じで、グルジアの王族と知識人と結婚してきた。

重大な衝突は、ソ連後の初代大統領で半分気が狂ったスビアド・ガムサフルディアが、(1992年の短い支配期間とそれ以前に)、極めて排外主義的な民族主義を信奉してから始まった。グルジア人以外の市民は同国での「お客」であると宣言した。ガムサフルディアは、自治を廃止し、南オセチアという名前も廃止した。また大臣の一人、Vazha Adamiaをツヒンバリへのデモの先頭に立たせた。

数百人が殺されると、グルジアのオセチア人は、唯一の選択肢に見えたものを選択した。分離することである。彼らはすぐに「平和維持部隊」の名目でいるロシアによる保護を見出し、新しい制約された状況の中、やせた土地とコーカサスを越てくる物資の密輸で生活をやりくりした。1990年代終わり、(ガムサフルディアが死んだ後に政権を握った)エドアルド・シェワルナゼのグルジア政府は、この取引を大目にみていた。それは、グルジア・南オセチア境界で行われた車のトランクを使った市場での、闇商人とも平和的に共存し、活発に行われた。

2003−04年の「バラ革命」でシェワルナゼに代わって後を継いだサーカシビリは、ほとんどすべてのグルジア人政治家と同じように、ソ連後の混乱と暴力の時代に失われた、すべての領土を(必要なら武力を使ってでも)回復すると公約した。この約束とその約束(例えば、その展望は常に非常に近い将来である)に伴う修辞は、その約束をした者を抜き差しならない状態に追い込む。南オセチアに関する約束を果たそうとして、サーカシビリ政府は、一連の策略をした。エドアルド・ココイトイに率いられたロシアが支援する南オセチア政府に対抗するため、親グルジアの傀儡政府の樹立、水道と電気の供給の操作、交易所の閉鎖、さらに、それらの措置を拡大し(南オセチアの統治者は対抗し、それをしのぐことさえした)、誘拐、地雷の敷設、ときには銃撃戦にまで至った。

そうした「挑発」(両者によって手当たり次第に投げつけられた言葉を使うと)に直面して、ロシアの平和維持部隊によって武装され、訓練を受けた南オセチア人は、さらなる支援を受けた。そのため、反グルジア活動の犯人が誰であるかーロシア軍なのか地元オセチアの若者なのかー判別するのが困難になるまでになった。オセチアの軍事請負人はとにかく、ルーティンに励んだ。上空を飛行し(ときにはミサイルを「落とし」)、平和維持のために非常に厳しく訓練された部隊で強化した。

さらに、政治的なレベルでは、ロシアの小刻み(サラミ) 戦術は(南オセチア人にロシアのパスポートを発行し、次にロシアの年金、保健、教育制度に統合していく)、最初は住民を同化させる秘密のプロセスで、次に同国をロシア連邦に統合することになったことは疑いない。

それ自体では、オセチアはロシアにとって取得する魅力はほとんどない。そこに別荘を建てる人はいない。(アブハジアには観光施設があるが)、そこには観光リゾートもなく、観光客のために施設を建てる見通しもない。全体で7万人の人口の中で、ロシア市民にはなりたくはないと思っている2万人以上(恐らく最大3万人)のグルジア人が住んでいる。原理的には次のようなことはあり得る。目覚ましい経済成長を見せ、西側世界と統合し始めていたグルジアの隣で、もし南オセチア人が平和にそのまま置かれたら、グルジアと再統合するのではないが、その一部であるかのように住み、またロシアの一部にはならない(ロシアとはとにかく、長く、暗く、危険な1本の道路のトンネルだけでつながっている 訳注1)、ということに最終的に合意に達していたかもしれない。

ロシアの野望とグルジアの政治指導部の性格を考えると、そのようなことは起きなかったし、恐らく起きえなかったであろう。サーカシビリを近くで知るようになった人たちにとって、多くの言語に堪能で、米国で法律の教育を受けた彼は、危険なまでに不安定で、時に冷酷な政治家である。彼の反ロシアの一匹狼としての役割でさえ、実際に見えるものとは違っている。彼が2003−04年のバラ革命の波に乗ることができたことは、ロシアの利益と感情とぶつかり、どちらの側も思い出したくないものであったことを示す多くの証拠がある(それは、両者の間で交わされた人身攻撃の激しさを説明することになるかもしれない)。

もつれた、謎に包まれた話は、次のようなものである。革命の初期段階で、シェワルナゼが不安定な政権にしがみついている時に、サーカシビリは当時のロシア大統領の仲介者の一人、Grigory Luchanskyを介して、ウラジーミル・プーチンと間接的な対話に関与した。野心のあるグルジア人である彼は、グルジアの南西部の州のアジャリア(訳注2)を地盤として支配していた現地の軍閥、アスラン・アバシゼ(訳注3)に対する圧力を掛けることは、彼の年長のライバル(シェワルナゼのことー訳者)に対し優勢になるチャンスだと見なした。

プーチンはアブシゼのロシア治安部隊を撤退させて、願いを入れた(アブシゼが、プーチンのライバルでモスクワ市長のユーリ・ルツコフの同盟者であったことは役立った)。ソ連解体での役割から、シェワルナゼがプーチンのKGBとロシア軍から憎まれていたことも、その動機になった。アブシゼの支配基盤が弱体化され、アジャリアがトビリシの支配に戻った時には、サーカシビリはグルジアの大統領になっていて、国家再統合計画でのこの第一歩を自分の手柄にできた。

事態は転換した。プーチンの(またメドベージェフの)サーカシビリに対する嫌悪は、メドベージェフがotmorozok(「能なし」と「人間のくず」の間の何か)という下品な言葉を使うことで現れている。米国の軍事援助への大きな依存など、ロシアの軌道からできるだけ離れた政治的決定や経済政策を取ることで、グルジア大統領は
ロシア指導者の目の上のたんこぶになった。

サーカシビリはすっかり中傷の修辞をとり戻した。だが、侮辱的言動と民族主義的なわめき声を越えて、なぜ彼が南オセチアで彼の軍隊を使って電撃戦を行い、それをロシアが既成事実として受け入れると考えたのかまだ不明である。この荒っぽい計画について聞いていたはずで、それを防げたはずの米国の軍事顧問はどこにいたのか?サーカシビリをめぐっていくつかの疑問がある。2005年のズラブ・ジワニア首相(訳注4)の原因不明の死と、それに続く異常ないくつかの死における彼の役割についてなどである。

ツヒンバリでの本当の死者数とグルジアの責任の程度は、サーカシビリにさらに影を落としている。広く流布されている1500人という数字以下だったことがわかったとしても、その行動は醜悪で、分離主義者の州の町を取り戻そうとする国軍による(サーカシビリのお好みの言葉で、敵に対してだけ使う言葉を使うと)野蛮な違反である。米国のコンドリ−サ・ライス国務長官がトビリシを訪問する時には、抱擁と握手、それに疑いなく微笑みで歓迎されるであろう。そうだとしても、これが、サーカシビリの西側の同盟国がロシアと同じように、彼に代るもっと分別のある人物を見つけ出そうと躍起になっている、もっともな理由である。

彼の政治的死亡記事が書かれる時には、少なくとも言えることは、南オセチアでの彼の行動は、南オセチアをグルジアに再び統合する見通しは、彼が誤った危険な冒険を始める前より、さらに薄くなっているということである。しばしばあるように、熱狂的なグルジア民族主義の噴出は、それが意図した目的を挫折させている。

アブハジア 波は後退する

グルジアとロシアの間のあからさまな戦争が、南オセチアをめぐって起き、グルジアのもう一つの失われた領土、アブハジアではなかったことは、少なくとも一つの点で驚きであった。 グルジアとアブハジアを分断する問題はより根が深く、重大であるという点においてである(また、グルジア軍が、2006年7月から2008年8月の戦争の中で撤退するまで、アブハジアのコドリ渓谷に駐留していたからである)。

南オセチアがグルジア王国と共和国に何世紀もの間、統合されていたとしても、アブハジについては、確かに統一グルジア国の不可分の部分であったのは、アブハジアの歴史の中のほんの僅かな期間でしかないと言い得る。900年から1225年(グルジア王国の「黄金の時代」)の間と、1936年から1992年(アブハジアの指導者Nestor Lakobaがラベンチー・ベリヤによって殺されて以後、ウラジスラフ・アルジンバの指導の下での分離と戦争まで 訳注5)の間である。

さまざまな時期に、アブハジアはミングレリア(Mingrelia)の支配者によって支配された。それはオスマンの宗主権の下でのことが多かった。1930年代の強制的な人口構成の変化で、アブハジアではグルジア人集団が先住のアブハズ人の数を上回るようになった(アブハズ人の人口は、1864年にロシアがアブハズ人の半分をトルコに追放した時に激減した)。従って、グルジアがアブハジアに対して主権を主張するのは、長い歴史的な関係ではなく、1945年以降の国境の不可侵の原則に基づいている。

より重要なことは、土地が肥沃で昔は魅力的であった海岸と山のリゾート地を持つアブハジアは、その隣国にとって紛れもなく欲しいものなのだ。ロシアの官僚やビジネスマンは、スターリンの古い別荘からユーゴスラビアが建設し、放置されていたホテルにいたるまで、不動産を買い占めている。彼らは、アブハジアの地位が最終的に再検討されたら、彼らの購入は合法的で利益が見込めるという前提でいる。アブハジアはまた、親ロシアのアルメニアと世界と結ぶ主要道路と鉄道が通っている。

1992−93年の分離戦争では支持を隠さなかったロシアの「平和維持部隊」は、以後、駐留することに大きな既得権益を持っている。残忍で破壊的な1992−93年の戦争と1930年代と1970年代でのグルジア人による暴力と嫌がらせを決して許していないアブハズ人は、ロシアの専制支配のほうがずっとましだとしている(ファジリ・イスカンデルの小説『チェゲムのサンドロおじさん』を読んだ人は誰でも、そこに描かれているアブハズ人の帝国支配者に対する態度と、ロシアの支配の下で、好きなように生活していかれるという自信を見出すであろう。訳注6)。独立するかロシア連邦の一部になるかを望むアブハズ人にとって、唯一の脆弱性は南のガリ地域の存在である。そこは、ミングレル人が民族的、言語的に西グルジアのミングレル(サメグレロ)と近く、グルジア人とも近いのである。

ツヒンバリでのグルジアの敗走と、欧米がグルジアへの言葉による支援と経済的支援を軍事行動ないし実効のある政治的制裁で証明することができなかったことで、アブハズ人はグルジアへの再統合を働きかけようとする者はもういないと確信している。ニコラス・サルコジと(フィンランドのアレクサンデル・スタッブ外相の)交渉の結果、欧州連合の平和維持部隊がロシアの平和維持部隊に加えられるかもしれない。だが、彼らは実効あるものにはなりそうもないし、(ロシア軍の行き過ぎた肉体的暴力への傾向を信頼性のしるしとして認め、他のタイプの平和維持部隊の抑制を笑う)コーカサス人に尊敬されそうもない。

遺産

ロシアとの短い戦争で、いまや国土が明らかに小さくなった中でグルジア自身はどうなったのか?恐らく、グルジアの政治家と国民は、より現実的な同盟国が与えている静かで人気のない助言に耳を傾け始めたかもしれないが、これまでのところ、それは無視されている。

第1に、チェコ共和国とハンガリーを見よ。(チェコはスロバキアなしでもうまくやっており、スロバキアもそうである)。ハンガリーは(過激派は別にして、トランスシルバニアを取り戻すという願いあきらめた)。領土が失われることはあり得るのであり、民族的に同質な構成で生きのびられるし、利益を受ける、ということを受け入れよ(これが、エスニック民族主義ではなく、市民が相まって育成される限りにおいて)。

第2に、アブハジアや南オセチアの住民がそこに住みたいと思うような、明白により豊かで、自由で、安全な隣国となるよう、グルジアは、経済的、社会的発展に集中すべきである。

第3に、グルジア人は2つ以上の選択肢があることを認識すべきである。不可能な選択肢は、失われた領土を取り戻すこと、あり得る選択肢はそれをロシアに取られることである。第3の選択肢は、アブハジアと南オセチアの独立を認め、外交関係を与え、国境を開くことである。そうすればこれら2つの地域はロシアだけではなく、トルコ、欧州へと外に向くことができる。

この助言は「西」に対するものでもある。NATOと欧州連合の助言者は、こうした3つの理性的な原則を受け入れられることを条件にして、グルジアにすべての援助をすべきである。また、これ以上の意味のないおしゃべりや公の容認をやめるべきである。

そうした方針に沿って言う勇気のある政治家、そう言っても殺されないと信じる自信を持ったグルジアの政治家を私は知らない。だが、もしそうした政治家が現れないと、2008年8月に起きたことは再び起きるであろう。さらに、次の時はさらにもっと悪い結果となるであろう。なぜなら、ロシアの外交政策はもっぱら、愛されるより、恐れられた方がましであるという原則に基づいているからだ。ロシアのプーチンーメドベージェフーPSB-軍事政権は、少なくとも石油が尽きるまでは、世界の主要脅迫者として強固に構築されているように見える。もしグルジアがさらにやる気を起こさせるものが必要というなら、それは、強硬な立場を続けて、他の少数民族を疎外させることだ。特にトビリシに無視され、(南東グルジアの)ジャバヘチで貧困な生活をしている20万人のアルメニア人は、アルメニアと統合するために戦うことを決めるであろう。

グルジアの歴史は、何世紀にわたる分裂の後に数十年の統一が続くというものである。グルジアの責任ある友人は、どのようにこのプロセスを覆すか、より根本的でより現実的に考え、明確で率直な助言を与えなければならない。一方、グルジアの新しい世代、特に外国に住み、働いたことのある人々は、数ケ月、数年先まで、そのような改革主義、現実主義を共有し、説くことが望まれる。

*ドナルド・レイフィールド(Donald Rayfield) ロンドン大学クイーン・メアリー校の現代言語名誉教授 ロシア語・グルジア語研究者


訳注1 ロキ・トンネル 1985年完成、高度2000メートル、全長3660メートル

訳注2「人口統計上、住民の8割は民族籍をグルジア人とするが、実際にはこの地方のグルジア人の多くがアジャール人と呼ばれるイスラームを信仰するグルジア系のエスニック・グループであるため、グルジア国内で自治共和国を形成している」(ウィキペディア)

訳注3 ソ連解体以前からアジャリアの自治共和国最高会議議長。グルジア独立後、ロシアを後ろ盾とし、シェワルナゼ政権に対して、譲歩を引き出させた。独自の軍事力を持ち、事実上の独立国家となった。国土統一を公約にしたサーカシビリが2004年に大統領に就任すると、中央政府とアジャリアとの関係は一触即発の危機に陥った。サーカシビリ政権はアジャリアに対して武装解除を要求する最後通告を発した。アバシゼはロシアに亡命、アジャリアは中央政府の支配下に入った。

訳注4 20004年1月に首相に就任。2005年2月、ガス漏れ事故でトビリシの友人宅で死去。

訳注5 ベリヤはグルジアのミングレル人で秘密警察長官。アルジンバは1990年、アブハジア最高会議議長に選出。1994年―2005年、アブハジア共和国大統領。

訳注6 2002年に国書刊行会から邦訳が出ている

原文

21世紀国際政治の理解を欠くロシア 長期的には戦略的敗者になる可能性 イワン・クラステフ

  • 2008/08/29(金) 17:50:45




 欧州は新しい19世紀に入った。2008年8月8-12日のロシア・グルジア戦争はタイムマシンとして働き、1990年代の欧州政治を形成した「歴史の終わり」という気分を雲散霧消させ、現代版のより古い地政学的論理がそれにとって代わった。

 より古い論理であって、冷戦の論理ではない。実際、南オセチアをめぐる紛争は、冷戦の回帰という威圧的な修辞を生じたが、それが明らかにしたパワーとイデオロギーの実際の配置は、1945年以降の40年間の超大国の対立の時代とは異なっている。これは実際、タイムトラベルであり、単なる歯車の逆戻りではない。

ロシア・グルジア戦争を21世紀の欧州での最初の19世紀型戦争にしているのは、イデオロギー的極性を伴わないパワー対立という特異要素である。赤軍が1968年8月に「プラハの春」を鎮圧するためにチェコスロバキアに侵攻したほぼ40年周年にあたることが証明している。グルジアへの懲罰的侵入はリメークではない。その条件、動機、必然、正当とする理由は異なっている。グルジアにおけるロシア軍の侵攻と勝利は、欧州のパワーポリティックスの中心へ回帰しようとするロシアの試みを表している。それは、21世紀初めの冷戦後の欧州秩序にしきりに挑戦しようとしている、生まれ変わった19世紀の大国としてのロシアの復活を示している。

しかし、HGウェルズの1895年の小説でのタイムトラベルの主人公が発見したように、より複雑な現実がゆっくり姿を現すにつれて、過去ないし未来の世界についての当座の満足は、あてにならないかもしれない。「新しい19世紀」は単なる昔の複製ではない。クレムリンは5日間の戦争、(より長く、より混乱した後でも)で勝者として現れたかもしれないが、長期的には、欧州政治を決定付ける特徴としての「勢力圏」を回復する試みでは、戦略的敗者になるかもしれない。

3重の失敗

グルジアの大統領、ミハイル・サーカシビルは、8月7-8日の夜、南オセチアでの軍事作戦を始めるにあたって、戦略的誤算を犯した。彼は賭けに出て、負けた。グルジアは、(1990年代初めのソ連後の戦争で、トビリシからの支配から自由になっていた領土)アブハジアと南オセチアを失い、軍事的インフラと急速な経済発展の希望も失った。コーカサスのイスラエルになるという2003年以後の指導部を駆り立てた野望は、裏目に出た。

2003−04年の「バラ革命」後に政権に就いた当初、サーカシビリは最初の任期(5年)のうちに、同国の領土保全を再び確立すると約束した。彼は彼自身を意識して中世のグルジアの王ダビッド、Agmashenebeli(建設王)にならった。それは、自己証明であり、実際、彼の大統領としてのモチーフであった。(彼の民主主義の建設や西側制度に同国を統合することについての愛想にいい演説を聞きたがっている、西側の首都にいる聴衆にとってではなく)、グルジア国民にとって、サーカシビリの主要な約束は、アブハジアと南オセチア(彼の統治の初めには、南西部の反乱地区であったアジャリアも)をグルジアの支配に戻すことであった。

ここで、タイムマシンが音をたてはじめる。なぜなら、熱に浮かされ、統制的で、イメージにあふれたサーカシビリ政権は、彼が19世紀の政治的野望と21世紀の政治スタイルとの異様な混合であることを示しているからである。この組み合わせが、南オセチアの首都ツヒンバリを攻撃するという決定を特徴的で説明可能なものにしている。サーカシビリの戦略は、セルビア人が住んでいたクライナでの1990年代初めのフラーニョ・ツジマン(クロアチア大統領―訳者)の戦略のように、現地の平和維持任務を国際化させることをロシアに受け入れさせるために、「既成事実」を作ろうとしていたように見える。それは苦し紛れの計画で、その結果は壊滅的なものであった。
 
サーカシビリは大きなへまをした。だが、彼の主な同盟者と彼の直接の敵対者もまた、愚かな行動をした。ジョージ・W・ブッシュのホワイトハウスは二重の誤りを犯した。サーカシビリ政権の真の目的を把握しそこなったこと、モスクワがトビリシに対して武力を行使する用意があることについて判断を誤った。デイリー・テレグラフ紙によれば、8月9日においても、米国国務省とCIAは、ロシア部隊はグルジア「本土」(すなわち、2つの「失われた領土」を除いたグルジア)には侵入しないという予想をしていた。

ワシントンから発せられた入りまじり、混乱したメッセージの政治は、ロシア・グルジア戦争の5日の間、続いた。その結果は、二重にはっきりしている。米国がロシアに対して影響力を持たないという事実、グルジアの領土保全を保証するというブッシュの修辞的約束は実際には修辞にすぎないという事実である。要するに、ブッシュ政権の危機管理は2つの世界で最悪であった。方向感覚がなく、また信頼性を失った。

ロシアもまた、重大な戦略的誤算を犯した。ツヒンバリへのグルジアの攻撃に対して、グルジア本土に侵入するという決定は、ロシアの行動が間違いなく国際的な厳しい非難を招くことを意味していた。政治的計画はなく、サーカシビリを排除する現地の政治的同盟者もなく、戦争後にコーカサスを調停する原則もないものであった。ロシアは、その軍事作戦を意味あるものにするための大きく、包括的な計画を何も示していないし、近隣の国や国際的なパートナーと接触できないでいる。ロシアは短期的には勝ったが、結局、グルジア戦争の最大の敗者であったということになり得る。

ロシアの戦略的リスク

確かに、ロシアの当座の軍事的成功は明らかである。クレムリンはロシアが実効的な(粗雑なものであっても)軍事大国として再び、機能できることを証明した。その戦争はロシアの国民にも支持されていた。1990年代の精神的外傷にまだ耐えている多くのロシア人にとって、この小さな勝利した戦争は、20年間の政治的屈辱を逆転させる、長い間待ち望んでいたものであった。短期的効果はウラジーミル・プーチンードミトリー・メドベージェフの正当性を強化する。 

しかし、ロシア人にとって、この戦争の心理的側面を明らかにすることは、その19世紀的性格を際立たせることにもなる。問題になっていたのは、領土というより、国民感情であった。それは、19世紀の政治では、20世紀においてイデオロギーがはたしたのと、ほとんど同じ役割をはたしていた(どちらの場合でも、戦争を正当化し、引き起こすことがあり得る)。サーカシビリの火遊びの後、グルジアに侵攻したクレムリンの核心的な理由づけは、ロシアが再び、偉大な大国であると見せつけ、感じる決意であった。実際、サーカシビリ自身の目的も、領土と同時に、心理的なものと理解される。ロシアとの国境でのグルジアの主権を主張することである。

この意味で、2008年8月7-8日の後のクレムリンの行動は、熟慮された政治的戦略によって導かれたのと同時に、弱く、重要でないと見なされることに対する恐怖によって導かれていた。しかし、19世紀の心理は、20世紀のイデオロギーと同じように、国際政治における混乱の源にもなり得る。さらに、両者は意図しない結果の法則の影響を受けやすい。それは、勝利したグルジア戦争の後にロシアに当てはまるかもしれない。なぜなら、ロシアがこの勝利から姿を現した時、プーチンが2000年に政権に就いて以来、どの時よりも、世界からも、旧ソ連圏内からも、戦略的により孤立している危険があるからである。


 (クレムリンがグルジアの大統領を嫌悪し、彼の失墜を見たいと思っていたことがはっきりしていたとしても)、8月8日に始められたロシアの攻撃がトビリシでの体制変革を、はっきりした政治的目標として持っていたかどうか依然、不明である。だが、ある程度まで、もっと重要なことは、クレムリンはとにかく、そうした体制変革を保証する政治的メカニズムを持っていないということである。クレムリンは、グルジア社会へ働きかけをするものを持っていないし、グルジアの親西側傾向に挑戦できる合法的政治勢力はない。ロシアはグルジアの領土を占領できるが、それは国際的孤立と西側との危険な関係悪化という代償をもたらすだけである。

ロシアがサーカシビリを追い落とし、トビリシに親クレムリン政権を樹立させることに失敗したことは、ロシアがバクー・トビリシ・ジェイハン(BTC)パイプラインを支配することができないということを意味する。従って、ロシアの軍事的勝利は、旧ソ連領域でエネルギー・ルートの独占権を樹立するというモスクワの野望に実際的な影響を持たない。実際、ロシアと西側の間の緊張が深まったことで、欧州の会社は恐らく、別のエネルギー・ルートを探す努力を増すであろう。これまで以上に、米国と欧州は「幸福は多数のパイプラインを意味する」と確信しているであろう。

ロシアはまた、グルジアとウクライナのNATOへの統合のプロセスを確実に止めることに失敗した。2008年12月のNATO首脳会議の結果を予測するのは難しい。8月19日のNATO緊急会議の結果は、グルジアの期待を勇気づけるものではなかった。だが、ロシアのグルジアへの挑戦に対する効果的な対抗処置として、NATO加盟国が同盟の拡大を求めることで合意することは十分あり得る。もしトビリシが優先課題を失われた領土の回復から、西側機関との結合へと転換することにするなら、グルジアのNATOへの統合は実際の選択肢になり得る。

NATO側では、領土保全を確保するのを助けるよりも、グルジアに「加盟行動計画」(MAP)の道筋を提示するほうが、今や容易である。この短く、不快な戦争で、トビリシが南オセチアとアブハジアの実効支配を確保する見通しは遠くなった。サーカシビリがセルビアの前首相、ボイスラブ・コシュトニツァのように行動するのをやめ、セルビアの現在の大統領、ボリス・タジクのように行動しはじめるというのは、非常に道理にかなっている。
大国の落とし穴

意図しない結果の法則は、ロシアに打撃を与えるような別の方向で働くかもしれない。米国のロシア政策は、手術による身元変えと同等のことをしつつある。数日のうちに、ジョージ・ブッシュの「現実主義者」はブッシュの「冷戦主義者」に変わった。コーカサスでの戦略的同盟者の見苦しい無能さを見せつけられて、ワシントンはモスクワのG8からの追放、世界貿易機関への加盟の希望の喪失、グルジアとウクライナのNATOへの加盟、2014年のソチ(アブハジアから海岸沿いにある)冬季オリンピックのボイコットを目指して圧力をかける「柔軟封じ込め」コンセンサスに移動しつつある。

ロシアにとってより差し迫った心配は、残存する欧州の友人の防衛である。ポーランドが米国のミサイル防衛網の一部を受け入れる協定を直ちに結ぶことを決めたことは、同国の国内強硬派がグルジア紛争を利用して、ロシアへの西側政策で優位に立つことができた典型的な例である。

ロシアはNATOの包囲について被害妄想を持っていた。だがその被害妄想は、最も暗い悪夢を産み出してしまったようだ。今後、米国のロシアの近隣国への支持は、その国の政権の性質ではなく、その国のロシアとの関係で規定されるであろう。中央アジアの専制的な国が米国と取引することに興味を持っているなら、その時期が到来した。

この点に関して興味深いことは、モスクワが軍事的に勝利した際に、旧ソ連圏のロシアの同盟国の沈黙と対抗国の対決的姿勢が対照的だったことだ。クレムリンが懸念するのは、ウクライナ(特に大統領)がサーカシビリへ無条件の支持をしたことではなく、ベラルーシの沈黙である。ロシア外務省がミンスクからの支持がないことに驚きを表明したその日に、ベラルーシの大統領、アレクサンドル・ルカチェンコは外務省に対して、「欧州連合と米国との関係改善に措置をとる」よう命令した。この立場は、ルカチェンコが後にソチを訪問した際に、モスクワの作戦を称賛する巧みな発言をして、部分的に和解した。

従って、ロシアのコーカサスでの戦争における軍事的勝利は、結局、「カラー革命」の短い期間でのロシアの政治的敗北よりも、同地域にけるロシアの戦略的利益を害するものになるかもしれない。その時期に、ロシアはウクライナとグルジアで威信と地位を失ったが、同時に、ロシアは旧ソ連圏で専制的指導者と共通の利害を見出し、同地域で反西側同盟を作るのを助けた。カラー革命は欧州連合が革命的、修正主義的パワー(revisionist power 訳注1)であるかのように見せた。それに応えて、ソ連後のエリートは現状を維持するように動員された。


だがいま、修正主義的パワーであるのはロシアである。ロシアが自国民を保護する権利という言葉を使うことは、旧ソ連諸国にいるロシア人少数派への見方を大きく変えるであろう。旧ソ連でのロシア人居留民の4分の3が、ウクライナ、カザフスタン、ベラルーシに住む。その3ヶ国はロシアにとって戦略的に最も重要であるが、旧ソ連圏での自国民の権利を守るために武力を使う権利があるというロシアの主張を最も恐れているであろう。ウクライナが、ロシアのパスポートを持った市民がセバストポリに何人住んでいるかの調査を始めたということは、驚きではない。ロシアが自決の原則をもてあそぶことは、ロシア自体内でも脆弱さを感じることが増すであろう。旧ソ連国家の中で、ロシアは唯一の多民族連邦であるからだ。

アレクサンドル・ドゥーギン(訳注2)は、ロシアの国家形成事業の中心にあるジレンマを鋭く明確に表した。彼の言葉によれば、現在の国境での、現在の政治制度でのロシアは、一時的な現象である。ロシアは、通常の民族を基にした国民国家になるためには、大き過ぎ、民族的に多様過ぎる。同時に、古典的帝国がするように裏庭を支配するには、十分に大きくなく、十分に強くない。ドゥーギンが言っていないことで、ロシアの政治の観察者には誰にも明らかなことは、現在のモスクワの指導部の19世紀的考え方は、旧ソ連の領土についての真の統合主義的(integrationist)事業の観点を排しているということである。

ロシアの「ソフトパワー」の欠如

戦争後の混乱の中で、ロシアのメディアとロシアのアナリストは、残忍な暴力の発生を調べ、それが同国の国際的な立場にとって何を意味するのか評価し、「情報戦争」でのモスクワの敗北について討議している。意見が一致することは、グルジア軍に対する攻撃は軍事的成功であったが、「宣伝の失敗」であったというものである。モスクワの宣伝マシンは、まったく無能であるとされている。

しかし、多くののロシア人が情報戦争での敗北として経験していることは、実際には欧州政治で影響力を行使しようとする、この19世紀型思考の政権が無力であることをさらけだしているということである。ロシアは5日間のグルジア戦争で、意味のある「ソフトパワー」を持っていないということを発見した。ロシアはポスト・イデオロギーの世界で、危険なまでに孤立している。ソ連の終わりと共産主義の死は、ロシアから普遍的な言葉と普遍的な魅力を奪った。それに代わるものは何も出現していない。

ソ連は邪悪な帝国であったが、真の「ソフトパワー」を持った邪悪な帝国であった。ソ連の戦車が1968年8月20-21日、チェコスロバキアに侵攻した際、少なくとも世界の共産党の一部は、それが社会主義の名目で行われたとふるまおうとした。ロシアのグルジア本土の占領は、この程度の見せかけの支持さえも引き起こさなかった。サーカシビリが戦争を挑発し、最初に攻撃したというロシアの正当性の主張は、ロシアの作戦でグルジアに与えたそのような破壊を正当化するのに十分とは言えない。要するに、ロシアの勝利は尊敬を勝ち得たが、友人は得られなかった。

「主権民主主義」を国家イデオロギーの地位に押し上げようとするクレムリンの試みは、部分的にしか成功しなかった。「主権民主主義」という概念は、ロシアにおける西側の影響を制限するのに役立ったが、世界的にはアピールしていない。この急造の概念では、主権は権利ではない。その意味は、国連での議席ではない。クレムリンにとって、主権は能力を意味する。それを持つことは、経済的独立、軍事力、核兵器、文化的アイデンティティを暗示する。ロシアの見方では、大国だけが真に主権たり得る。この主権についての見方は、欧州の小中国家の中で多くの信奉者を得られないであろう。

さらに、ロシアがグルジアのインフラの破壊を正当化するために、1999年のコソボ戦争で西側が使った人道的介入という言葉を借りようとしたのは茶番であった。それは、2008年8月までにいたるすべての期間でのロシアの外交的立場と矛盾した。そして、ロシアが戦争を始めたのではないとしても、それを待っていたという疑いを増しただけであった。ロシアがそうした言語上の借り物の衣装を使うと、その行動はより冷笑的で、悪意のあるように見えた。ロシア外相が民族浄化とハーグの戦争犯罪法廷について語り始めた時には、多くの観察者は、ジョージ・ケナンが、ロシアはその国境に属国か敵国しか持たないと言ったことを思い出した。

こうしたことで、ロシアがこの紛争で国連安全保障理事会で孤立し、G7が宣言を出し、国際世論の多くの部分がロシアの行動に同情的でないことは、驚くにあたらない。しかしながら、ロシアは世界での自分のイメージに気づいていなかった。これは、管理された民主主義を導入した代償の一つである。それは、すべてのテレビ局はORT(ロシア公共テレビ)のようであるという錯覚である。

ロシアが世界に対し、グルジアに対するその行動の正当性を納得させることができなかったことで、ロシアは世界舞台に戻るための計画を再検討するはずである。ロシアは、生まれ変わった19世紀の大国であり、それがポスト20世紀の世界で行動している。その世界では、武力と能力の変数は大国の地位や行動を規定する唯一の方法ではもはやない。「ソフトパワー」の欠如は特に、修正主義的国家(revisionist state 訳注3)になろうとしている国にとって危険である。なぜなら、ある国が今日において、世界の秩序を作り直したいと思うのなら、その国は依存と勃興しつつある列強の配置に依存し、国際世論の想像力を獲得できなければならないからである。

別の言い方をすれば、1990年代の規範的時期は終わったが、普遍主義(universalist)の魅力の必要は残っているということである。ロシアにとってのグルジア戦争の教訓は、ロシアが19世紀の国際政治の規定に捕らわれたままでは、21世紀の条件で可能なような大国にはなれないということである。ロシアは新しいタイムマシンが必要である。だが。世界もそうである。

*イワン・クラステフ ブルガリア・ソフィアにあるCenter for Liberal Strategies代表。バルカン国際委員会(座長・アマート元イタリア首相)の事務局長をつとめた。 

訳注1 訳注3 ここでのrevisionism(修正主義)はterritorial revisionism、つまりrevanchism やirredentism(領土回復主義、戦争で失われた領土を回復しようとする主張)の婉曲表現

訳注2 ロシアの政治活動家 「新ユーラシア主義」として知られる現代ロシアの地政学者 「ユーラシア運動」の設立者

本稿は独立オンライン雑誌www.opendemocracy.netにクリエイティブ・コモンのライセンスのもとで発表された。 . 
 



 
原文

 
 
(翻訳 鳥居英晴)